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6つのコモと2輪駆動

ハード系パンとペストリーで有名な、カフェを併設したパン屋に呼ばれました。ジョナサンへの出前です。

一般的なスーパーで売っているパン類は、塩分が強く、歯ごたえもなく、かと言ってふわふわと口当たりが良いわけでもなく、日本で買えるそれとはかなり違った風味のものが多く、渡米直後はパン迷子になったものです。

パン迷子の私に手を差し伸べてくれたのが、このパン屋でした。コモと名付けられた丸いフランスパンのような見た目の、子供の頭くらいある大きなイタリアンスタイルのこの固いパンを、薄くスライスして、ハムやレタスやチーズを挟んで作るサンドイッチは、私のささやかな贅沢です。

ジョナサンはこのコモを6つも頼んでいました。コモいっぱいの大きな紙袋を雨に濡れないように車に乗せ、出発しました。もう4月も終わりだというのに、冷たい強い雨がフロントガラスに容赦なく落ちてくるので、ワイパーの速度を調整します。

スライスすらされていない大きなパン達は、ジョナサンのランチではないでしょうから、彼はきっとレストランか何かで働いてるのかもしれません。

ドライバーアプリのナビに従って辿り着いた先は、アパートの敷地内でしたが、ジョナサンの住所はアパートのものではなく、ナビが指す先には従業員用駐車場が広がっているだけでした。

ドライバーアプリのナビの精度がイマイチな事はよくあることです。私は別の地図アプリを起動し、ジョナサンの住所を入力しました。

その地図アプリに誘導された先には、車の轍に沿って泥水が溜まってる舗装されていない登り道が続いていました。泥水のしぶきをあげながら進むと、左側にブドウ畑が広がり、その上にホテルのような近代的な建物が現れ、私を見下ろしています。建物に続く道には大きな砂利が敷き詰められ、更に急な坂道になっています。強い雨の中、私の2輪駆動のNissanがその道からずり落ちる想像が脳内を巡り、ブレーキを踏みました。

誰もいない静かなブドウ畑の横で、ナビを再確認します。住所を再入力すると、目の前の美しい建物とそっくりのワイナリーの写真が表示されました。ジョナサンはこのワイナリーで働いているようです。しかし、どう考えてもこの道はワイナリーを目当てにやって来たお客様が通る道ではありません。ブドウを収穫する際のトラックや、荷物を運び入れる業者の為の道に違いありません。私も業者と言えば業者ですが、2輪駆動に乗った業者には別の道を提案してくれるはずです。

表示されたワイナリーを選び、ナビを再起動させると、ぐるりと大きく迂回して、ワイナリーの向こう側にたどり着くであろう道順が現れました。最初にドライバーアプリが指定した場所からは、かなりズレた位置に行き先のピンが刺さっています。

私は今来た道を、また泥水しぶきをあげながら戻り、舗装された道を走り出します。数分もしない内に立派なワイナリーの看板を見つけ、綺麗なエントランスをくぐり、お客様向けの駐車場にたどり着くことができました。

美しいガラスの扉を開くと、天井の高い明るいロビーに、質の良さそうなソファが置いてありました。左側には受付があり、そのすぐそばの棚にはぴかぴかに磨かれた沢山のワイングラスが綺麗に整列しています。

右奥にはバーカウンターと、その中で作業している数名のスタッフ、そして更に奥には、ワインを嗜む数組のお客様が見えました。お客様が眺めている窓の向こう側は、曇っていてよく見えませんが、方角的に私が先ほど遭難しかけたブドウ畑が広がっているはずです。

受付でワインを購入している老夫婦が私を一瞥し、微笑みます。私もニコリとし、隅っこで彼らがお会計を済ませるのを待ちました。雨に濡れて湿った犬みたいなジャケットと、泥のついた長靴をはいた私は、この空間の邪魔にならないように存在を消すことに集中します。

そんな私を目ざとく見つけ出し、笑顔で近づいてきた女性に「ジョナサンに出前です」と伝えました。すると彼女は「ジョナサン….あぁ、シェフのジョナサン!あっちがキッチンだけど、直接渡しに行く?でも、今は彼はオフィスにいる時間かも?それとも私が預かっても大丈夫?」と自問自答しているのか、私への質問なのか分からない疑問をいくつか投げかけました。「私はどちらでもかまいません」と伝えたところ、彼女はコモ6つが入った大きな紙袋を受けとってくれました。

ジョナサンの手によって、コモ達はすてきなタパスだかピンチョスだかに生まれ変わり、お客様達に提供されるのでしょうか。良く晴れた日に、大きな窓の前に座り、曇りひとつない美しいワイングラスに注がれたワインとコモのおつまみをいただくのは、素晴らしく贅沢なひとときに違いありません。
今は雨に濡れて、茶色い枯れ木の集まりでしかないブドウ畑ですが、夏の終わりか秋の初め頃になったら、重そうな実を何個もつけた、葉が生い茂ったみずみずしいブドウの木々になって、ワインを飲みながら、それらを見下ろすことができるのかもしれません。

外に出ると、雨はまだ強く降り、冷たい風が吹いています。現実に戻ってきた私は、フードをかぶり、急いで車に戻ります。次の週末には、いつものお得で美味しいポルトガルの赤ワインとコモを買って、私なりの贅沢なひとときを企画しようと、心に決めました。


所要時間:31分
配達料:$3.10
チップ:$3.15

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