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第一話 吾子が欲しい婚約者

ちりぃん、と心地よい音が響いた。
誰か店に来たらしい。

その日は澄み渡る青空だった。

店主はのそりと起き上がり
入口に近づいた。

入口には艶やかな髪を
惜しげもなく流した娘が静かに立っていた。
質素な姿をしているが顔立ちも良い。
育てが良かったのであろう。
美しいと思える佇まいであった。

少し戸惑うように
店内を見渡す娘に店主は声をかけた

「よう来たな。
ここは“おかみのたまや”。
わしが神界から運んできた
神具を売る土産処じゃ。」

娘は声がする方を見て驚いた。

美しい藤の毛色を纏った狐が
底が見えぬような漆黒の瞳で
こちらを見ていたからだ。

だが店主は気にする様子もなく、
娘の傍に近づく。

「何か欲しいものがあるのかぇ?
おぬしの悩みを聞けば
相応の物を紹介してやろう。」

狐が声の主と分かった娘は、
深呼吸をして心を落ち着けた。

「あの…ここが、
霊験あらたかだと周りに聞いて…。」

「ほう?何が欲しいのじゃ?」

「はい・・・あの・・・」

娘は狐の視線を流すように目を逸らし、


「吾子…が欲しいのです。」


消え入るような声でそう呟いた。
店主は首を傾げる。

「何故欲しいんじゃ?
おぬしならば見繕えば
すぐに手に入るであろう?」

困ったように小さく微笑む娘。
訳ありか と店主が声を出すと
こくりと頷いた。

「実は、私には婚約者がおりました。
私には勿体無いほどの
お優しく温かいお心をお持ちの方で
互いに良い縁談であったと
笑っておりました。
けれど不慮の事故で死んでしまって…
もう会えぬのです。
周りは「まだ若いから新しい人を見つけろ」と申しますし、相手方のご両親も
「悲しい事だが縛られないでほしい」と
伝えておりました。
 けれど私にとって婚約者は、
共に歩みたいと思ったのはあの方のみです。
あの方以外は嫌です。
もう子を成せぬとはわかっておりますが…
それでも、それでもあの方との子が
欲しいと思ったのです。」

無理な願いであることは
承知しております。

けれどどうか叶える
手段はございませんか?

瞳に大粒の雫を溜め、
小さく震える声で店主を見つめる娘。

店主はふむと目を閉じると
ふわりと毛を揺らしながら
店の奥に入っていった。

程なくして姿を現すと
鮮やかな球をつけた房飾りを咥えていた。

「これはな、
“魂守り(たままもり)”と言うてな。
鈴を器として守護する神の御魂を入れ
持ち主を守る神具じゃ。
帯紐にでも結んで
常に持ち歩けるように出来ておる。
本来は神の御魂を入れるんじゃが、
どうじゃ?
死した者の魂魄を入れて共に生きるのは。
勿論双方の許可が必要じゃが、
その様子では相手も喜んで許可しそうじゃの。子は成せぬじゃろうが
捨てられた子など幾らでもおる。
死に向かう子を拾うて
お主たちの子にしたらどうじゃ。
そうすりゃ、お主の望む
二人の吾子は出来ようて。」

娘は瞳を大きく瞬かせ、
ぽたりと雫を地に落とした。

「良いのですか?
本当に、本当に良いのですか?
あのお方はこのような束縛を
許してくれますか?」

「ふむぅ、わしが視る限り、
そやつもおぬしに
”ぞっこん”だと思うがのぅ…。
よい相手を見つけたではないか。
共にあの世へ行けるまで、
共に過ごせばよいと思うぞ。」

ぽたりぽたりと娘が雫を溢す。
けれど悲しみではなく希望の雫。
それは朝日に輝く夜露のようだった。

悲しみに濡れるのではない。
太陽の下で乾かすための。

「ありがとうございます。
ありがとうございます。」

娘は何度もつぶやきながら
その魂守りを握りしめた。

「お代はしっかり払います…。
本当にありがとうございます。」

「当然じゃ!
無料(タダ)でやっていることではない!」


求めた分は与えねばならん。
求めたものが大きければ
おぬしも大きなものをわしに与えねば
理は循環せんで…と
お小言をつらつらと言い続ける店主。

娘は「はい、はい。」と
涙を溢して笑いながら、その店主に何度も
「ありがとうございます、ありがとうございます」と返事をした。



その日、男は墓参りに向かっていた。
手には父母が好きだった饅頭を持って、
婚約者が好きだった梅の花を持って。

結納が出来なかった愛しい人は
正式には自分の家に入った訳ではない。

友人達も
そこで一人身で終わるなと言っている。

けれど自分にとっての伴侶は彼女一人で、
彼女の両親に無理を言って
自分の家の墓に入れてもらった。

「彼女も喜ぶだろう。」と
御両親に言われて
心から嬉しかったのをまだ覚えている。


裕福な家なわけではない。
けれど共に切磋琢磨して
生きていけると心から思っていた。
あの事故が無ければ。

墓にたどり着くと
饅頭と梅の花を置いて手を合わせる。

「父さん母さん。
元気にやっているかい?そっちは楽しいかい? 
鈴香がそちらにいるけれど
明るくて優しい子なんだ。
父さんたちの娘なんだから
大切に扱ってくれよ。
…鈴香。君が居なくなってふた月だ。
まだ君が居る気がするよ。
君はまるで鈴のように軽やかで、
本当に名前の通りの子だと思ったよ。
仕草も声もありありと思い出せる。
…いつか、思い出せなくなるのかな。
年月を経て君を大切に
できなくなる時が来るのかな。
思い出は残酷で、月日を経れば
薄れていくことを知っている。
父さん母さんの声も俺はもう思い出せない。
…鈴香もそうなるのかな。」

枯れ果てた涙。

これでもかと言うほど、
死ぬのではないかと思うほど慟哭し、泣いた。

現実を受け入れる事が出来なかった。
けれどそれでも日は登って、
太陽が出て、涙を塞ぐ。

また明日が始まる。
また太陽は自分を照らす。

涙を乾かせと太陽が言う。
動けと太陽が言う。
 
進めと太陽が言う。

「いつか鈴香は思い出せない
思い出になるのかな。」

太陽は残酷だ。
濡れていたい自分を許してくれない。

「あと1年早ければな。
あと一年鈴香と出会うのが早ければ。
そうしたら、二人の子がいたのかな。
消えない思い出になっただろうか。」

考えても仕方がない事だ。
今自分の手には赤子はいない。

分かってはいる。

けれど理屈では
どうにもならない感情も確かに存在した。

「今日はいい天気だな。
本当に、嫌になるほど。」

皮肉を言うなんて貴方らしくない。
と鈴香は笑うだろうか。

きっと自分の心を癒す
あの綺麗な笑顔で笑うのだろう。

ふ…と自分の笑みが零れて瞳を閉じた。



「…帰るか。」

名残惜しい気持ちを置いて、立ち上がる。
梅の花が届くように、
と心で祈り墓に背を向けた。


不意に


どこからか声が聞こえた。
遠くに、遠くに、かすかに聞こえる声。

何だろうと耳に集中する。
どうやら泣き声だ。赤ん坊の。

音のする方角を探しだし、
茂みをかき分ける。

貧富の差が激しい時代だ。
子が出来ても育てられぬ親など
数えきれないほどいる。
痩せこけた子など
少し街を外れれば幾らでも見る事が出来た。

おそらく、捨て子だろう。
誰か育てられる人が居ればよいのだが。
そう思いながら声の主を探した。

がさり、と大きな草をかき分ければ
生まれて間もない赤ん坊が
おぎゃあおぎゃあと泣いていた。

どうしたものかと
小さくため息をつきそうになった時、
男はあるものを見つけて目を開いた。

赤ん坊の手には
鮮やかな球をつけた房飾りがあった。
房飾りにつけられた鈴。

まるでそれは自分が愛してやまない婚約者が、
「私たちの子だよ」と
会いに来てくれたように思えた。


その日は澄み渡る青空だった