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第四話 国を変えたい末弟

「玉狐殿ーっ!」

辺り一帯に響く声。
その声だけで分かる事がある。

面倒な客が来た。

無言のまま店主と傍に座る雪は
自分の感情に深呼吸した。
雪はちらりと店主を見ると
分かりやすく眉間に深い縦皺が寄っている。

それだけでわかる事がある。
この店主は非常に頑固だ。
こうと決めたら意地でも動かない。

おそらく店主は店頭に姿を現す気は
ないだろう。

眉を八の字にしながら、くすりと頬笑む。
すらりと衣擦れの音を鳴らし、
雪は立ち上がった。

「おお、これは。玉狐殿はいらっしゃるか?」

店の入り口に居たのは、
それは恰幅の良い中年の男性だった。
衣も皺もなく仕立てが良い。
一目で良い生活をしていると分かる。

開口一番店主の名を出す男に、
雪は礼儀正しく頭を下げた。


「恐れいります。ここはおかみのたまや。
男人禁制の神界の土産処でございます。
どの様なご用件で此方の門を
叩かれたかお伺いしたく思います。」

人形のように微笑む雪に
男はふんと見下すように笑った。

「いやはや、
玉狐殿のお噂をそこかしこから聞いてな。
顕現した神の遣いを
ひと目この目で見ようと思ったのだ。」

雪は表情を崩さず「左様でございますか。」と答える。

『おたまさま、お会いする気は…。』
『・・・・・・・・』
『おたまさま。』

心の中で念を送るが暖簾に腕押し糠に釘。
会う事は無いと真っ向から拒んでいる。

「申し訳ございません。
店主は現在席を外しておりまして
お会いする事が出来ません。
お会いした際のご用件を
お伺いしたく願います。」

「おや、それは困ったのう…。
私は其方ではなく神の遣いたる玉狐殿に
神々の御意志を聞きたく此処へ参った。
いつ頃帰られるのじゃ?」

「私共巫女も、
主の帰路を把握しておりません。
巡りが戻りますと、
お帰りになられますが確約は致しかねます。」

「御国の一大事じゃ。
どうにか話は出来んか?
私は神の声を聞くまで帰る気はない!」

「・・・・・・・・・・。」

「今この国は危機を迎えている!
人は争いを深め欲にまみれ、
穢れの渦の真っ只中じゃっ。
この穢れを祓うは正しき道を歩めた者のみ!
選ばれた人間こそ国を正さねばならんのだ!」


『やっぱり面倒じゃで…さっさと追い返せ』

雪は笑みを深くした。店主は気楽だ。
念で会話をしながらも、面倒な客を押し付け、欠伸をしているのが気配で分かる。
こういった者を説得するのは簡単ではない。

先程の会話でこの客は自分ではなく
神の声を望んでいるのが分かった。

どんな言葉も自分の声ならば届かないだろう。
「畏まりました。それではいかがでしょう?」と雪は提案する。

「私共巫女は
神の声をその身に降ろすことが出来ます。
それにて規定の時間、
玉狐様と対話をなさるのは。」

『はっ?』

「おお!それはよいな!是非頼みたい!」

目を輝かせる男に『待てっ!雪や!』と脳に声が重なる。

『わしは話す気はないぞ!
お主で対応せいっ。』

焦る店主の声に雪は笑み顔を崩さず
『嫌です。』と答えた。

『・・・・・・・・・・。』

店主もここで気づく。ここで拒めば雪が怖い。
はぁ…とため息をつく店主に、許可が下りたと雪は察知した。

「それでは、
お時間は約小半時(十五分)まで。
会話が終わりましたら、
時間内でも終了とさせていただきますので
ご容赦ください。」

「あい分かった、分かった。頼もうぞ。」

「それではご自由にお話しください。」
そう言う雪はすぅ…と深呼吸して
俯いて動かなくなった。合図らしい。

よくよくタイミングが分からず男はきょろきょろと様子を見たが雪は動かない。

「玉狐殿?」と、おそると声をかけた。
すると

「なんじゃ。」

と低く不機嫌な声が雪の口から洩れた。

瞬間ぞわりと鳥肌が立つ。

ゆっくりと俯いていた瞳がこちらを向いた。
全てを見抜きそうな瞳は、
先程まで話していた巫女ではない。

思わず息を呑むが、
それでは制限ある時間がもったいない。
ましてや自分は聞きたい事があって
ここに来たのだ。

深呼吸して姿勢を正すと、男は声を出した。

「私は、遠江を守る華族の末弟で御座います!
我ら一同御国が為穢れを広げる
呪詛たる存在を消し去り国に蔓延する
欲と穢れを消し去り、正しく清き国に戻す為
どうぞ我らに神のお言葉と
ご意見を頂戴したく…。」

「馬鹿もんが!」

響く怒声に男は目を丸くした。
目の前の巫女は
まっすぐに自分を見つめている。

そしてそのまま大きく息を吸って声を出した。

「お主はただ、
わしら神々の声を御旗の印にしたいだけじゃ!自分達が正しいという武器にする奴に
意見は無い!」

「い…いや、ですが、現に今この国は、
人々は、欲に塗れた者たちにより洗脳され、
在りし国の姿も分からず傷つけ合い、
苦しめ合っているではないですか。」

「だからなんじゃっ!」

「これを悪とせずなんですか!
このまま傷つけあう国が良いと、
神々は申すのか?」

「傷つけあう国を悪として
傷つけようとするお前が何を言う!」

「・・・・・・・・・・・。」

「お主はただ自分を正しいとして、
誰かを傷つける道具を用意しているだけじゃ!善が悪かなんぞ、
お主が決めることではないわ!」

「・・・・なら、
このような欲に塗れた世であって良いと
神は申すか。」

「欲に塗れた世を変えようとする欲が
お主も出ているではないか」

「ですが、現に人は傷ついている!」

「傷つく者を否定し
傷つけているのはお主じゃ!」

「・・・・・・・・・・・。」


話が終わった。

なぜなら男は俯いたまま
黙ってしまったからだ。

すぅ…と雪の表情が変わり、
「お代を頂戴いたします。」と声をかける。
男は何も言わず、懐から銭を出して、
雪に手渡した。

そして無言のまま、店を背にした。

「…全く…ああいう自分を顧みる事が
出来ない奴が一番嫌いじゃ!」

のそりと影から店主が姿を現す。
雪はただ、何も言わずに
その小さくなった背中を見つめていた。

「お雪殿―っ!お雪殿―っ!」

三日後、また威勢のいい声が聞こえてきた。
もう来ないものだと思っていた一人と一匹は
目を合わせる。

「もう一度神の声を聞きたい!頼めるか?」

真剣な眼差しで雪に銭を渡す男。
拒む理由は無いと雪はまた瞳を閉じた。

「玉狐殿にお伺いしたい。
玉狐殿はこの国をどう思われる?」

「わしは是非をつけん。」

「ですが今悲しみを苦しみが
人々を蝕んでいる。」

「蝕まねばならぬから
蝕んでいるんじゃろう。」

「苦しむ人々のままで良いと申すか。」

「苦しむ人を見るお主が苦しんでいるが、
そやつを否定したら
お主のやる事は無くなるのぅ。」

「・・・・・・・・・・・・・・。」

また三日後男は現れる。

「私は苦しんでいる者達を見ると苦しい!
傷つける者達を許せん!」

「傷つける者達を傷つけている
お主はどうなるんじゃ。」

「私はどうでもよい!
お国の為なら同じ悪になろうと
この身を捧ぐ!」

「じゃあ悪が国を作ると言うのかえ?
今と変わらんのう。」

「悪を消し去ると言っておるのです!」

「敵も悪、お主も悪、善はどこにある。」

「傷ついてきたこの国の民だ!」

「じゃあ傷ついた者を見て、
傷つくお主も善だの。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「お主が善なら、
同じ行いをする敵もまた、善だのう。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


また三日後男は現れる。

「…分からぬ、玉狐殿。
神々は、国を、私をどうしたいのだ。」

「国は国が決めるで。わしらは干渉せん。
国の責など国が決めるもの。
国が必要な物は国が選ぶもの。
わしらは役目を果たしていくだけじゃ。
お主の事など興味もない。」

「神は、お導きを下さらんのか…。」

「わしらの声を正しいとする以上
導きは起きんじゃろな。」

「正しくないのであれば
導きは必要ないではないかっ!」

「要らぬから贈るんじゃよ。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」



それから男はぱったりと現れなくなった。

自分の意見を真っ向から
鏡のように打ち返してくる店主の言葉。
それはそのまま自分の言葉を
自分に浴びせさせたに過ぎない。

会うたびに顔色が悪くなり、
男が傷ついていくのが雪からも見えた。

けれど雪は店主のその行為について
何も言わなかった。

「あやつはただ自分で癒さぬ心の傷を
癒せぬと思い込み
誰かを悪と責任を変えて
癒せぬ傷を癒そうとしているだけじゃ。」

そう鼻息を荒くしている店主を
見ているからだ。

世の全ては自分の価値観を
鏡として見ているに過ぎない。
店主は頑固だが神の従者だ。
神の答えをしっかり示したのだ。

「お雪殿…お雪殿はいらっしゃるか。」

ふいに店頭から声が聞こえた。あの男だ。
すくりと雪は立ち上がり入口へと向かった。

「はい。」

「お雪殿、すまないな。
色々考えさせられた。」

「今回も神託でよろしいでしょうか?」

「いや、今回は良い。ただ報告じゃ。」

ぱちりと雪は瞬きをする。

「私はな、末弟じゃ。
最初から家に期待されておらんかった。
自由気ままで良いと兄者達は言うが、
私は兄者達が羨ましかった。
期待されぬ私は誰も認めてくれぬ。
どうしたら皆に価値があると思われるか
必死で考えておった。
とにかく私は正しくなりたかった。
間違えたくなかったんじゃ。
正しいを証明するにはどうしたらいいか…
考えた結果間違えた者達を見つけ、
成敗する事こそが答えだったんじゃ。
間違えた者達を成敗し、人の為、
国の為に自分が犠牲になることこそが
正しい者だと思ったんじゃ。」

「・・・・・・・・・・・・・。」

「なるほどのぅと玉狐殿には頭が上がらん。
私は、誰かに認められたいと
思っただけなんじゃな。」

伏し目がちに笑う男。
雪は随分と優しい目をするようになったと
思った。

「そのうえで、お雪殿に聞きたい。
まだ私は神の声を正しいと考えてしまう。
だからこそ、お雪殿の感想を聞きたいのじゃ。私は、これからどうして行けば良い?
今は何も見えないんじゃ。分からんのじゃ」

雪は少しだけ驚いて、男を見つめた。
最初会った時は明らかに
自分の事は目に入っていなかった。

正しいと思う答えだけを求め、
神と言う絶対の存在しか見えなかった。
けれど男の目に、
自分の姿が見えるようになっている。

「それはある意味、
自分が見えたのでしょう。」

ふわりと雪が笑う。
その笑顔に男は目を開いた。

いままで自分に見せていたのとは
違う笑顔が雪の顔から咲いた。
それはまるで触れれば溶けてしまいそうな、
柔らかな笑顔だった。

「きっと貴方様は今まで
自分を見つめる事が出来なかった。
自分の願いも、希望も、夢も、
全部隠されてきたのでしょう。
やっとご自身と向き合える時が来たのです。
今これからが始まりなのでしょう。
どうぞ自分の喜びへお進みください。」



音が止まるようだった。

新雪の朝のような。

その笑顔が、言葉が
心から自分に向けられていると分かる。


自然と口が笑む。揺らぐ視界に胸が満ちていくのが分かった。

「…そうか、それが答えか。」

「え?」

「有り難し神の導きじゃ。」

そういって男は深々と雪に頭を下げて
帰っていった。

静かな間。

首を傾げる雪は、
そのまま小さくなる背中を見つめ、

奥で一匹ふすっと鼻息を立てる店主は、
静かに目を閉じた。