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ぼくが新曲を出すときの気構え

昨日、新曲を公開しました。
なので、あなたの選択で聴くか聴かないかを決めて欲しいんですけど、聴くに傾いた方はこちらからどうぞ。


新しい曲を出したり、新しい企画を考えたり、絵を描いたり、noteを更新するときに、「出す側はどんな気構えでいるのが正しいか」というところは「結構難しいよなぁ」と思ったりします。

細々とそれなりの年数何かを作りながら生きていますと、僕のようなダメな人間は自分を律する必要があります。

というのは、作品の公開前にあらかじめ、「この作品を出したからといって、決して何かが変わるわけではない。だから1mmも期待してはいけないのだ」と自分に対して充分な量の釘を刺すことです。
お察しの通り、これは「期待の裏返し」で、このような自分に気づくたびに、自分がイヤになります。笑

評価されたい、認められたい、という感情ばかりが渦巻いて、いつのまにか創作を楽しむことをしばしば忘れます。だから、過度な期待のスイッチは、あらかじめ「電源」から壊しておかなければなりません。

まー「電源」という言い方をすると、「自らが死ぬ」みたいなニュアンスになっちゃうんで、この例えは間違いなのかもしれないんですが、その過程ごと残します。笑

「冗長な文章は他人に最後まで読まれることが少ない」ということぐらいはわかっているんですが、「そのような決まりを何かに偉そうに書くような人間は、そもそも1分も冗長な時間や人生を送っていないのだろうか」と思うことがあります。
拡大解釈も甚だしいですが。笑


「無駄が多い文章は読まれない、歌詞の意味がわからない歌は残らない、ビジュアルがよくないからダメ、広め方にスピード感が必要だから今のやり方では終わる、そもそもやり方が古い遅い無駄ばかり、だからなんでも色々一人でみんなにわかりやすく優しくできるようにしなくては、とにかく誰かの役に立つことをしなくては」みたいに、自分にバツをつけ続け、自分を苦しめる呪いばかりが増え、ある日ふと「自分は一体なんのためにこんなことを続けているのだろう」と思ったりするわけです。自業自得なんでしょうが...笑

友人が自分のバンドの曲で、「誰もがみんな本当が嫌い」と歌っていました。
それを聴いたときに、「あー、本当にそうだよね」と思いました。

境遇は違いますけど、僕自身も「誰も真実なんか望んでいないし、実話なんて望んでいないのだ」と思わされるような状況に、何度も直面したことがあるからかもしれません。


僕は音楽を始めた頃から「自分の近くにあること」ばかりを書いてきました。
で、最初の頃は多分、それでよかったんだと思います。
だけど、僕が人間として古びた存在、新しい人間たちの中にいる型落ち以下の存在として自分を省みるとき、ふと「本当に自分の書いてきたことは正しかったんだろうか」と思うことがあります。
でもまぁ「少なくともその時々でそれらを大切に思ってくれる人たちがいたんだから、間違いとするのはやめておこう」とは思うんですけどね。


「僕にとっての本当を書き続けたところで、これまで通り、どこにも広がっていかないのかもしれない。でも僕がストレスなく作れるのはこのような表現ばかりだから、どうにか自分を励ましながらやっていくしかない」という思いが毎日頭の中で鳴っています。精神的に「その日暮らし的余裕のなさ」が垣間見えますよね。笑

「結局僕はここでも、自分のことばかりだな」と思ったりします。すみません。笑


今日も読んでいただきありがとうございました!
このnoteあまりにも暗いんで、海のように広い心を持つ会員さんだけが読めるマガジンに入れようか迷ったんですが、たまにはこういう廃棄物を流していいか、と血迷いましたので、そうします。笑

で、こんな自分を客観的に見て「自尊心の低さはアルコールや薬物より人生を破滅的にさせるぞ!」っていう研究を思い出しました。笑
なーんか時々、やけくそになってしまうんですよねぇ。

それではまたー。


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