E87:給湯器の耳
給湯器「お風呂が沸きました」
源太 「あ、どうも恐れ入ります」
自宅の給湯器と時々こんな会話をしていると話したら、
口の悪い同僚に言われたっけ。
「源太さん、そんなに寂しい生活を送ってらっしゃるんですか?」
余計なお世話である。
「モノを大事にしないと、モノから仕返しされるよ」
たぶん これは学生時代に、誰かから言われたのだと思う。
もう誰に言われたのか忘れてしまったけれど。
でも、なんとなくそれは覚えていて、
時々、誰も見ていないところで、モノにねぎらいの言葉をかけるのが
マイブームだった時期がある。
昔、会社でプリンターに悪態をついたら、
次の日、私が書類を出す寸前に故障したりした。
仕返しってこういうことか。
それ以来、モノ、特に電化製品は
丁寧に扱うように心がけている。
奴らは「耳」を持っている。きっとどこかで聞いている。
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去年の秋ごろから、給湯器の調子が悪かった。
ことあるごとにエラーサインが出て、それでも
私たちは、その場しのぎのリセットでなんとかごまかしていた。
2月下旬、
いよいよ給湯器のエラー頻度が、とんでもない状況になり始めた頃、夜中に風呂場で給湯器と話し込んだ。話し込んだといっても、一方的に話しているだけだが。
源「ねえ給湯器。お願いがあるんだけど、3月14日まで待ってくれないか? 今プロジェクトの仕事が立て込んでいて、この時期に壊れたら大変なことになる。お願いだから、3月14日まで、ね、それまで、頑張ってくれないか?」
私は、給湯器を(正確にはリモコンを)そっと撫でた。
わかっている。誰かに見られていたら、
間違いなく私は危ないおっさんである。
でも、それがなんだって言うんだ。
笑うなら笑えばいい。引くなら引けばいい。
そして、その日は、やってきた。
従順だった我が家の給湯器は、もうどこを押しても
同じエラーサインを出したまま、動かなくなった。
私は、あの日と同じように、
給湯器を(正確にはリモコンを)そっと撫でた。
3月15日金曜日午後6時37分
我が家の給湯器は、その14年の生涯に幕を閉じた。
その日はお風呂に入れなかったけれど
むしろ私の心には爽やかな風が吹いた。
偶然?必然?
そんなことは知らない。
でも、機械は「耳」を持っている。
私はそう信じて生きている。
冷水の洗い物。30年ぶりの銭湯通い。
次の日から我が家は大変だったけれど、
なぜか少し穏やかでいられる気がした。
取り外されていく給湯器に
私は精一杯の賛辞と感謝を送った。
「ありがとう」
最後に1つだけ。
色あせたトランクスを握りしめて
静かにお礼を言っているおっさんがいたら、
それは、私かもしれない。
【66日 の 2日目】
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