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シンギングリン買った理由と自分癒し

シンギングリンをリビングにおいて鳴らしながらストレッチするようになって、じわじわと「ゆるむこと」の大切さがわかってきた気がする。
それと同時に「病気やけがになった時が休む時」という現代社会やばいな…と実感している。
みんなやすもうー。
生まれた時から、わたしたちがんばって生きてるんですから。

ここ3年ほど、一生懸命自分を癒している。
「自分が嫌いなままで生きていたくない」と強く望んだから。
「自分を愛したい」
でも自分を愛するってどういうこと?
わたしって何なんだろう?を専門家さんに教えてもらっている。

赤ちゃんの頃、母親を見つめていたら、ふっと母親が目をそらしたときにでも誤解が生じる。
もしかしたら養育者である母親は私を愛していないかもしれないという誤解。
人同士なんだから、ほしいときにほしいものをもらえるなんて奇跡に近いし、特に母親は忙しい。
それでも母親に愛されなければ、生存できないという死の恐怖から
・母親に愛されること
・そのために母親を受け入れること
・そのために自分より母親を優先すること
という、自分の生き方指針みたいなのが作り出されていく。
そしてそれがいつしか母親以外の他人になり(母親を重ねてしまっている)人間関係の基礎になる。
でもこの基礎はぐらぐらだ。思い込みによる勘違いだから。
わたしはもういい歳なんだけど、この幼い生存戦略だったころから、実は一歩も変わっていない。
できることいえば、これは誤解だと気づいて、
・人と自分のタイミングは異なること
・人と自分の感情は違うこと
・人と自分が優先するものも違うこと
その違いを知っていって、人から愛されないと生きていけないという誤解を、自分が自分を愛することでほどいていくことぐらい。

たとえば、目の前にいる誰かの機嫌が悪かったら、
「わたしのせいかな。どうしよう。怒られるのかな。怖いな。楽しいことをして機嫌を取らないと。楽しいふり楽しいふり」と反応してしまう。
でもこの反応は母親とのやり取りで生まれたもので、もしかしたら、母親は本当にわたしのせいで怒っていたのかもしれないけど、目の前の人はほぼ確実に違うのに、対応をミスっている。
この「目の前の人+私のトリガーになる言動や表情(ここでは不機嫌)+私の反応」が一緒くたになっている間は、自分の反応が目の前にいる人のせいだと考えて「この人が変わらないと私は幸せなれない」と人のせいにしてしまう。自分のせいにすることもあるかも。
人のせいにしてはいけないと学んでいるから、そう思う自分にも自己嫌悪だし、そんな自分を知りたくなくて蓋をしてしまうかも。
自分が感じることを許してはいけないという誤解の上に誤解を重ねていく。

でも「目の前の人/私のトリガーになる言動や表情(ここでは不機嫌)/私の反応」とすべて別のものに分解すると、「このトリガーが訪れた時、自分は不安という反応が出るんだな」と事実に気づいて「じゃあそんなわたしを癒してあげよう」という方向に向かう。
まず、自分は感じてもいいのだと「感じないと決めた自分」をほぐしていくことから始まって、一つ一つを分解していって、自分が責任を持つ部分を知っていく。そして、次に同じ状況が生じたときには、反応を繰り返すのではなく、自分自身の感情に責任をもつ。
この作業を行っていくと、今度は、この不安がいつ生まれたのか?という誤解が生まれた瞬間まで辿っていくことになる。
「初めて不安が感じた時」まで遡って、大人である今のわたしが、そのころの小さなわたしを抱きしめてあげたり、その子の本当のニーズを満たす。
私自身の生きてきた時間をさかのぼるのだから、わたしにしかできない。
でも、実はそれは一人ではできないこと。
人間関係で生まれた誤解は、人間関係の中でしか解消しえないから、専門家に助けてもらう。
導いてくれる信頼できるセラピストさんと共に行う作業です。

人間の赤ちゃんは、自分ひとりで生きていけない。必ず、養育者が必要な未熟な存在として生まれてくる。
だけどその養育者も、未熟な存在である。
だから、この誤解はすべての人に生じているし、わたしはこれを経験するために生まれてきたんだと最近は感じている。
自分の人生を変えたいと強く強く願って、そのためにまずセラピストさんに私自身を開いた。
まず最初に心を開いた専門家との信頼関係を築いて、積み重ねていくことで段々と変わっていった。
自分を満たす。自分を愛する。
その方法はきっと幾万通りもあって、正解は一つじゃない。
あんなに失敗するか成功するか、できているかできていないかを恐れていたのに、今は失敗した自分をかわいいと感じる。
もちろん恐れている自分ももちろんいるけれど、その恐れが小さくなった。
いびつさが可愛くなって、不機嫌な時もアクセル全開だ。

心の誤解や傷って、数えきれないくらい山ほどあるから、これからもっとずっと見つめて、自分を変えていきたいと望んでいる。
この自分癒しを、やらなければいけないことだと思っていたけど、今は自分がやると決めたことで、やり続けることだと感じられる。

一つ一つ自分を癒していくと、自分がしたいことがだんだんわかってきて、感じることを禁じることから感じることを許していくと、自分の本当のニーズが浮かんでくる。
そうやって、浮かんだものの一つがシンギングリンを買うことで、ちゃんと自分が働いたお金で買いました。

シンギングリンが家庭に一台あると、家族の健康にとても役立ちます。

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