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みんな傷ついてる。

去年から、わたしにしてはたくさんの人と関わる機会があった。
たくさんの地域の人たちね。
PTAとか、自治会とかで。
そこで、よく感じていたことは、みんな傷ついてるんだなあってってこと。
どんな形の、いつついた傷なのかはわからないけど。
心にも身体にも。
傷のない人はいない。

もし、わたしに傷はありませんとか、もう全部癒えていますという人がいたら。
その人は、傷が何であるかを知らないか、嘘をついていると思う。

だって、傷は生きてきた証。
その人が肉体とこころを持って、周りと関わること。
生きる証だから。
だからもちろん、こどもより、大人の方が傷ついてる。

でも、たくさんの人は、その傷に気づいてなくて、傷越しに周りと関わるから、痛みを抱えてる。
傷つけられたらどうしようと怯えて、
傷つきたくないと構えて、
こんなのはわたしだけと感じながら、
でもこんなわたしはよくないと思ってる。


そんなふうに感じた。

もう嫌よね。

したくないときにさせられるのは。

したいことをするのはわがままかなって遠慮しちゃうけど、

本当に心からしたいことをしたら。それは独りよがりでなくて、自然とみんなのためになるよ。

みんな、傷ついてる。

一人ぼっちじゃないよ。

みんな生きていいんだよ。


わたしにも勿論、傷がある。


今年に入って、自分にも互いにも傷があることを自覚している方たちに多く出逢った。
皆一人ひとり違うから、その傷を無理矢理どうこうしようということもない。
明け渡している。
安心、安全な場だと感じた。


この違いは何だろう。
それは、傷に自覚的であるかどうか、そして傷とは何かを知ってるかどうか。
傷に目を逸らさずに向き合うと、自分が生まれてきたところはどこなのか、その源を辿っていく。
源には光がある。
傷はその光を知るための、大切なきっかけ。
生命の光。
そのことに気づいて、人も同じと思えば。
わたしたちは、無理に本心を隠さず、心を押し込めず、身体を力ませずに生きて、自然と支え合えるんじゃないかな。

みんな、傷ついてて。
その傷はなくならないからね。
無視したまま年老いて、痛い気持ちを人にぶつけて八つ当たりしてる、厄介な中高年やお年寄りも、たくさんいるやろ。
それがまた、こどもに傷を作ることになってさ。
私達も多分そうやって、傷が作られてきたのよ。
そんなのたまんないよね。 
もういい加減いやよね。
わたしはいやよ。

だから、自覚的に生きていくよ。
周りに合わせるために、自分の感情にだけ寄り添わないなんてこと、今までしてきたけど、それって傷ついた自分を無視するだけだから。
寄り添えるのは、わたしだけなのにね。
そうやって、大切にしてきたら。
傷が笑顔の源になるよ。
そんな大人が一人でも増えていけば、社会は変わるなあ。

とりあえず、かわいいおばーちゃんになるぞ。

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