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変革期。

さまざまな現場が大変な忍耐と努力を強いられていて、その現場の一つに家庭も含まれているとは思いますが…、

わたしは今の生活が、これまで生きてきた中で一番平穏です。

なんでかなって思ったら、一日の流れがだいたい決まっているから。

その上で、日に合わせてゆるやかに過ぎていくからでしょう。

おだやかな反復。

時間割りもなく、移動もなく。

思えば、時間割りって混乱のもとだったなあ〜。

合ってるかどうか緊張してた。

スーパーへ行くとどこもビニール貼りで、ソーシャルディスタンスが決められていて、みんなマスクしてる。

それで、ほんまに予防できるの?

できないでしょ。ウィルスを止めることなんて、人間にはできないよ。

彼らはとても自由なのだから。

じゃ、なぜこんなことになってるのか。

この現代社会は、ウィルスではなく別のなにかによってコントロールされている。

その正体を知る気もないし興味もないけど。

社会を作るのはわたしたち一人一人の人間なので、わたしはわたしの生き方をするだけだと感じる。

その決意が、ますますわたしを穏やかにさせている。

わたしにとって、何かをしたいとか、どこかへ行きたいという願いは全て授かりもの。

何かや、どこかが放つ意識を受け止めて、願望という形で私の中に意識が根付いているんだと思っている。

だから、言葉にできることは1つなのに、心には無数の想いが浮かんでは沈むのだ。

わたしは受信体。

だからといって、何の意図も持たないのではない。

どこの、何の、どのような意識を受け止めるのか、それを決めるのは自らの意図なのだから。

だから、意識帯を周波数といいかえて、周波数を合わせる、という表現になる。

行動は結果なので、どこにいても何にでも繋がれる。

ずっとそう思って来たけど、この頃はネット社会になってそれがますます現実化してる。

とてもうれしい。

周波数に、善悪の種類はない。

意識を放つ、受け止めて形にする。

その交流にエネルギーが注がれて、それが…。

それが愛なんだ。

言葉は要らない。

全て、言葉のないところ、何もないところで行われていることだから。

それを再び言語化するのが人としてできる尊い仕事。

愛を言葉にすること。

見えるかたちに変えること。

それができるのは人間だけだ。 

このうつくしい身体によって。

まだ言語化されていないところで、わたしは何かを決意したと感じている。

決めたのはいつか知らないけど。

それが何なのかも知らないけど。

形として現れるのを、ただ待つ。


多分、私一人の仕事ではないから。

これからは、個人の仕事でなくなって、個が外れていく。

間もなく、大いなる愛が形となって現れるだろう。

何に、どこに、意識を傾けますか。

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