良心で生きる。1
自分が何をするために生まれてきたのか、思い出すことができたら、とても幸せだろうな。
何か一つ叶えるとしたら、何を望むかな?
七夕の飾りには、もう何年と「世界平和」と書いてきた。
でも、ほんまにふと気づいて。
わたしは、自分がしあわせになることを一度も望んだことがなかった。
誰かの望み、誰かの願い。
それらを叶えることが自分の「やりたいこと」だと思ってきた。
「やりたいこと」と「しあわせになること」は、全然違う。
「これをしたらわたしは幸せかな?」とか「これをしたらわたしはどんな感情になるかな?」という想像を今までしてこなかった。
しあわせな時っていうのは今まで勿論、たくさんあったけど、意識的にそれがどんなことでどんな形なのか、考えたことはなかったな。
与えられることに慣れていた。
驚いたことに、私は幸せは与えられるものだと思ってきたからだ。
口を開けて餌が来るのを待っているだけだった。
今、思ってみた。
自分にとっての幸せとは。
それは良心で生きることである。
良心とは、この天と地の間に、人として立ちながら、自分が何を望み、何ができるのか、他人とどのように関わり、何を為せるのか。
私が何を感じ、何をかなえていくのか。
そのことを常に意図して生きること。
だから、私が何のために生まれてきたのかわかったら、とても幸せなこと。
それがわからなくなってずいぶん経つ。
続きます。
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