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糸績みとHSP。

今年はPTAの当たり年で、ほぼ毎日何かしら人と会う予定があってお出かけしています。

わたしは大勢の人と会うのがあまり得意ではないので、疲労がどんどん蓄積しております。

そんなとき、心のそこから呟くのは、「あー、糸績みしたい」です。

今日は糸績みサークルでした。いや、うん、癒された。

ただ、麻糸を触るだけでいいんですよね。麻って、昔はどこにだって生えていたんですよ。黄金の国ジパングの黄金とは、麻畑のことだったんです。

こんなに癒されるものが毎日そばにあったかつての人々、ストレス少なかっただろうなぁ。

人が苦手とか、苦手な人がいるとかではないんです。人じゃなくて、もう全部です。全部がバーッと自分の中に迫りくるのです。言葉にできない感じです。学校の映画鑑賞のホームアローンで、泥棒役の人がカルキン君の仕掛けた罠にひっかかって釘をふんずける場面があって、みんな爆笑していた中、わたしは一人痛くて恐怖で震え上がってました。

自分だけなんか違うぞ、って気づいたのはその時です。それは特別感ではなくて劣等感でした。とにかく周りと同じにならないと、と思って、普通でいるためにたくさん人を観察して、沢山努力してきたつもりです。でもやっぱり空回りなので、ダメ人間だなーと思ってました。

この前、スーパーの本棚でHSPに関連した書籍を見つけて、それでHSPのことを知りました。

その中の診断項目全部あてはまったので、わたしも一応HSPなのかも。

HSPっていうのはハイ・センシティブ・パーソンっていうので、人一倍敏感な人らしいです。五人に1人はそうらしいです。割といますね。

こういうレッテルもういいよって思ったんだけど、でも子育てをして、自分を掘り下げていく中で、己の傷つきやすさや敏感さを無視できないなと感じていたので、向き合う時が来たことにします。

みんなそれぞれ弱さを抱えていて、支え合うのが社会なのだと思っていましたが、その弱さというのも様々なんですね。感覚ほど、人と共有できないものもないんだから、人それぞれ違って当たり前なんだなぁ。

そんな私が今まで、それなりに生きてこれたのは、ひとえに対人運の良さだと思っています。出会う人みんな素敵な人たちばかりです。人から傷つけられた記憶って、ほんとうにありません。いつも自分一人感じやすく自分一人で傷ついていたって感じで、それもまた自己嫌悪ではあったのですが、仕方ないのかもしれない。

ほんとに、わたし、対人運だけは誇れるんですよ。

上手く説明できないけど、自分はHSPだと自覚しつつ、PTA活動がんばるよー。

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