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多次元が折り重なって受肉する。

わたしはわたしという情報が集まって受肉した存在と書いたけれども、それはどういうことかというと、

過去、現在、未来という時間軸を生きる様々なわたし、

何かが起こったときに想定したすべての選択肢を生きる様々なわたし、

そういった複数のわたしが一箇所に折り重なって集まり、現象化したものがわたし、ということです。

心の中ではさざなみのように、複数の思考や、あらゆる感情、過去の思い出や、起こりうる未来が寄せては返してゆくのだから、その全てにわたしという意識体があり、それらが折り重なって肉体として可視化されるんです。

光が折り重なって立体映像が浮かび上がるホログラムと同じ構造です。

すべてそこにあるとは、肉体がそこにあるということと同じ。

こころの中で様様なわたしがいるのだから、身体も様様なわたしにより成り立っている。

思えばごく自然なことでもありますが…。

過去にとらわれるとか、2つの選択肢で迷う、とかは、その肉体を作る意識体が肉体から離れる状態になります。

それを埋めるためには、振り返ること、おのれのうちにすべてあると知ることです。

決して、他の人の意識体が代わりになることはできません。

心が傷ついているとき、誰かに頼りたくなるのは、欠けた自分を誰かで補おうとするからですね。

そのままでは依存になります。

そのことに気づき、一時は補ってもっても、自分自身を統合させて肉体を完成させることがとても大事。

それが自立すること。

自立とは、まさにそのとおり。

自分自身の身体で立つ、ということ。

そうすればどうなるか?

全体と調和し、生命が循環していく。

欠けていたら、その循環から外れ、人と人の縋り合いになる。

今、現代にある共同体のほとんどが、縋り合いになっているような気がする。

だから、一人でいる方が気楽です。

でも、そのままでは私達の社会に展望はなく朽ちていくので、進化させるためには、自立し、生命の循環にある人と、その集まりを増やしていくことです。

エネルギーのやりとりは、他人とではなく、生命…つまりわたし自身と。

だから、この折り重なり受肉したわたしという存在以外に、更に大きなわたし、更に更に大きなわたし…とフラクタルにもあり続けます。

これらをつなげるのは創造のエネルギーです。

創造とは、ゼロであり、ゼロとは愛であり、愛とは喜びです。

そのことを知れば…わたしたちがどういった存在なのか、自ずとわかってくるのではないでしょうか。

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