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幸せを感じる方法

わたしはヒカリコンサルっていう自分癒しの方法を信頼するセラピストさんから受けています。
ヒカリコンサルのいいところは、自分の感情や思考を「身体を通して」感じられるようになること。
わたしには何か、例えば周りの誰かが病気になったりけがをしたりすると自動的に自己犠牲的な献身を選んでしまう癖があります。
これは一見いい事のように思えます。
しかし実際は、再びその人が病気をしたり怪我をしたりする手助けをしているようなもので、愛の選択ではありません。
どちらかといえば、自己犠牲で尽くさなくては捨てられる、という恐れからくる選択で、実は自分本位な被害者意識なのです。
この前の対面セッションでは、ヒカリコンサルを継続しながらも、なんで自己犠牲という被害者意識を繰り返し選んでしまうのか?に焦点を当てました。
最初はわからない、から入ったけど、その「わからない」の感覚を身をもって感じていくと…。
わたしにとって被害者意識を手放すと、戦えなくなる。そのことが怖いから手放せないということがわかってきました。
被害者意識ってわたしにとって「武器」だったんだ!
これは新しい発見でした。
つまり私にとって、人と関わることは「戦い」で、被害者意識という武器を持ち、もし攻撃されたら攻撃し返してやると身構えていたんですね。
わたしは身を委ねるって言葉が苦手で「自分がなくなるようで怖い」と感じていたんだけど、身を委ねるってリラックスしている状態だから、それはそうよね、武器を握りしめている限り、リラックスなんて絶対できないもんね。
委ねるのが怖いのは、武器を手放すのが怖かったんだね。
その日のセッションが終わった後、日常の中でその被害者意識が武器だった身体の感覚を味わっていくと、誰と接するときでも被害者意識という武器を「後ろ手に隠し持ちながら接して」いたことがわかりました。
武器を隠し持つことで安心していたのです。

でも、違和感がありました。
その武器まだいる?
もう持たなくても大丈夫じゃない?

わたしの本質、才能、エッセンスと被害者意識がちがうことが体感できたんです。

そうすると、被害者意識という武器で戦わなければ、生き残れないと思い込んでいたのは、子どもの頃の誤解だとわかりました。
この感覚の違いって自分自身の体感だからなんか難しいけど、ほんとに違和感があるんです。

その違和感に気づいてから、また自分に対する捉え方が変わりました。
自分のやりたいことをやれるし、選びたいものを選べるんです。
作ったおかずの中で自分が一番食べたいものを選ぶとか、食べたいものを作るとか、まずはそのくらいのささやかさから。
そしたら、今まで間違えることが怖かったので(怒られたくないからね)もし間違えても、今回たまたまだ、もっと上手くやれるって目を逸らして抵抗してたのがなくなりました。
間違いは間違いで、そんだけだって。
なんか、身体の中心が緩んで脱力した感じです。

パターンとして長く繰り返してきたものなので、また被害者意識を選んでしまうこともあるだろうけど「気づいたときに立ち止まって、選択を変える」こともできるだろうし、ほんと幸せになる方法って何万通りもあるんだなって経験を積み重ねていって、馴染んでいきます。

このように感情を体で感じられるようになると、感情によって体のどこが反応するのか、経験で培ってきたネガティブな体感と元々の本質による歓びの体感の違いなど、細やかな違い捉えられます。
そして、肉体をもって生きている限り、どちらも「ある」ことがわかるので、そのどちらも持ちながらどちらかを選択することが体感として身についていくのです。
そうやって、自分を愛する方法を一つ一つに身に着けていっています。
ライフワークとしてこれからも続けていこうと思います。
いつも本当にありがとう。




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