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良心で生きる。3

わたしが癒した傷を一つご紹介します。

わたしが認知している、最も深い傷の一つに「わたしには力がない」というものがあります。

深いだけにしぶとくて、癒してもらった後でも度々その言葉が浮かびます。

でも今は、それが誤認であるとわかっているので、今あるものを書きだしたり、感情を感じてあげて、自分に親切にしてあげると落ち着きます。

ただ、癒しのプロセスを受ける前はそれが誤認ではなく、正しいことだと思っていました。

なので、「わたしには力がない」を肯定する出来事が起こる生活でした。

居場所がないとか、望みがないとか、お金がないとか、あるけど失うとか、どっちでもいい願いは簡単に叶うのに、大事な願いは叶わないとか。

こういう傷に基づく現実の創造を、癒しによって訂正します。

まず、「わたしには力がない」という言葉が思い浮かびあがった初めの出来事は何か、とセラピストさんに質問され、目を閉じて深く自問すると、一人で寝ている赤ちゃんが現れました。

周りに大人はいません。泣いても誰も来てくれないし、もし大人が来ても不安そうにしているか、慌てて対応してまた去っていくので、その内泣くことを諦めて、誰かがくるまで機嫌よくしています。

それで思い出したんですが、私が生まれた頃に、兄は2歳で毎日外遊びしていたので、母が付き添って家には私一人が寝ていたそうです。

また、生まれてすぐの2か月ほどは、叔母が手伝いに来てくれていたそう。

だから、不安そうにしている気配は叔母、慌ててきて笑いながらあやしてまた去っていく気配は母でした。

ですが、わたしは泣いても対応して貰えないので、求めても満たされないし、私が何かを働きかけても、願いは叶わないのだという誤った認識をします。

泣き止んで静かに、笑っていた方が喜ばれますので、感情を表さずに機嫌よさそうにしていれば育ててもらえると誤認した結果、「わたしには現実を変える力がない」と思うようになります。

近くにラジオをかけておけば静かに寝ている育てやすい赤ちゃんだったと、母はよく話していたけど、その頃にはもう出来上がっていたわけです。

しかし、出産経験のない叔母に新生児のお世話は不安がいっぱいなのも、寝ている赤ちゃんよりも動き回る幼児の方が危険度が高いので手がかかるのも、当然です。大人としては、赤ちゃんが静かにしてくれていた方がありがたいのです。

ですが赤ちゃんは「だから許そう」と対等な立場で物事を判断することはできません。大人たちは自分が生存するために絶対必要な存在だし、この現実が起きているのは自分が悪いからだと思ってしまうのです。

だから、静かに寝ていてほしいという大人の希望を、自分自身への大きな重りとして小さな身体に乗せ、静かに機嫌よくできるよう変えていくのです。

わたしには現実を変える力がない。わたしは静かに機嫌よくしていないといけない。その想いは育ちと共に繰り返され、やがて誤った信念になります。

最初は傷つきました。泣いても来てもらえないので。でも生きていかなければならないので、変わっていくことにしました。

そこから誤まった信念が生まれます。

赤ちゃんが傷つくのは、誰かが悪いのではなくて、三次元という他者が存在する世界だからこそ生まれる誤解なのです。だからそのままにしておけば、三次元は誤解だらけの悲しい世界になってしまいます。

赤ちゃんの時の間違った捉え方のままで関わりあうので、みんな傷ついた幼子なんです。

ですが、その誤解を誤解だと気づいて、癒していけばどうでしょう。

間違った思いを修正し、経験の中を生きてきた分、成長した大人の私として、世界と関われるようになったら、どうなるんでしょうね。

だから、セラピストさんの誘導で一人でニコニコしている赤ちゃんのところまで行って、わたし自身が大人として寄り添ってあげます。そして「あなたには力がある」と抱きしめてあげます。

そんときは、ほろほろ泣いちゃいましたよね。わたしは寂しかったのです。

セラピストさんに、静かにしてほしいという期待の重りを、大きな泣き声で跳ねのけるんだと導いてもらうんですが、それがなかなかできません。期待を裏切らないこと、NOを言わないことがとても大事だったので、大きな声も出せねーし、跳ねのけるなんてとてもできんし。でも頑張ってしたときに、もう最高に身体が軽くなって、スカッとしましたよね。

わたしは実は相当、腹も立っていたのです。ふざけんなよー!と。

これで癒しのプロセスは終わります。

気づけばささやかな誤解なのだけど、一人では気づけないし、間違った思い込みで変なキャラ作ってもうてるんよね。

そのキャラが面白ければいいんだけど、自分的にはしんどいし。

だから、癒した後のこころの軽さって、なんとも言い難いんだけど、ほんとに軽いです。そして、何か出来事が起きたときに、赤ちゃんの頃の傷がうずいて反応してしまうことも少なくなり、現実をそのままに認識して、今の大人として対応できるようになります。

大事なのは、全くなくならないってことかな~、でも全然変わります。

癒しのプロセスに慣れていけば、一人でも赤ちゃんの頃くらいまで遡れますが、それでもどうしても誤った信念に基づいて自分に都合よく解釈してしまうので、セラピストさんの誘導と、他者の視点がなければ、傷を正しく癒すことはできません。

癒しがどれだけ私を変えてくれたか、伝わったかなぁ。

この辺ちょっと詳しく等、ご質問あればいつでも。


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