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人権侵害は愛情じゃないので。

最近、いろんな隠し事が明るみになっている気がします。

これまで暴かれなかった闇の中があぶりだされている。

わたしの中のも同じです。

わたしの闇はまだまだあるだろうけど、最近、たった今気づいたことがあって、やっべーわたしすごいサイコパス笑えるーと思ったので書いときます。

それは「私を産み落としたこの世界に復讐をしたい」です。


これまでばれなかった嘘が、ささいなきっかけでばれる。

少なくとも私の身近ではそうで、ああ嘘つかれたんだって落ち込む。

なんで落ち込むかっていうと、自分の見る目のなさにです。

わたしは、自他の境界線がほんとにあいまいな中で育てられたっていうか、

自分の人権というものを全く守ってこられなかったのです。

そもそも。日本人って、家族や身内に程、人権侵害をしやすくて、むしろそうすることが愛情ってとられているとこある。

わたしは母親の思い通りに動かないと怒られて、何をするにも母にお伺いを立てて、何とかこの人が幸せになるようにと目いっぱい捧げて、自分の人権を親に譲渡してたんです。

でも、でも、でもね。

自分の想い通りに動かないから怒るって、ただの人権侵害で、愛情でも何でもありません。

わたしもされてきたから、自分も違和感なく娘たちにしていたんだけど、最近一つ一つ「それは自分のしたいことなの?」と探っていくうちに、自分の思い通りに相手を動かしたいのも、動かないと相手に怒るのも、相手が好きに動いたらうらやましいのも、全部、母親の真似だとわかったんです。

わたしではない、わたしとは違う場所にいる個体。その人が見ている世界も、頭の中身も考えていることも全部、わたしのものではないのに、私の思った時に動かそうとするって、ぞっとするほどホラーだな。

そんなふうに昨日ふと、感じて。

ああでもずっとそれをされてきて、ずっとそういうもんだと思ってきた。

こうやってコロナで物理的に離れて、マインドコントロール解けたTOSHIみたいに気づくことができたから気づけたものの、わかんなかったらそのまま来てたかもしれん。

わたしの人生で、わたしが決めたことって、なんもないのよね。

あ、あったな。結婚相手くらいちゃうかな。

そうか、だから母は私の旦那さんの文句ばっかり言うわけね。

でもさ、それまでの人生、ほんとに私の生きている場所がなくて、空想と漫画の世界だけがたのしみで。空想大好きで、そのおかげで瞑想も好きになれたけど、でも、なんかほんとに。

もっとたのしみたかったなーって。

受けれ入れたのは私だから仕方ないなんて諦めてきたけど、なんか本当に可哀そうだったなぁって思ったよ。

あー、だから妄想大好きになったわけねーって。

そんな母は今も気を抜けば人権侵害してくるので、がんばってるんだけど、時々やっぱり母を受け入れようとその防戦を甘くしたら、どどどーっと押し寄せてくるので、母のわたしべったりは、母が止めることでなくて、わたしが止めることなんだよね。

わたしも母に対する執着があるから。

今日、友達との勉強会で、その執着は何?と、質問があったので、とっさに正しく愛しあえる関係を作ることだって答えたんです。

我ながら、模範解答~~~。

ばっちりいい子ちゃんです。

でも、その質問が終わって一人になって、なんかもりもりお昼ご飯食べたときに、「違う、わたしは復讐したい」と気づいたんだよ。

わたしは復讐したい。

わたしを裏切ってきたもの。

わたしを踏みにじってきたもの。

わたしを押しつぶしてきたもの。

すごい憎しみがあふれてくるよね。

でもそれは実際に復讐したいんじゃない。復讐したいという気持ちを感じて感じて、否定しないで見つめてあげよう。

別に小さい子どもじゃないんだから、泣いて駄々こねんでええし、特に癒しのセレモニーとかいらん。
その感情を滅茶苦茶に味わっている。
滅茶苦茶に味わいながらこれ書いてるけど、この復讐心に気づけたとき、驚いたけど、とてもいとおしくなったよね。

あー、正常やんって。

ちゃんと、境界線もってるやん。

人との境界線があるからこそ、それを越えられたことが許せなかったんだね。

わたし、成長してるー。

ほんと、自分が何一つない世界から、家庭をもって手探りで少しずつ。

内的世界のすべてが作りものであることを受けいれて、せめて自分だけは自分を愛しんであげよう。

わたし、抜毛癖とか、ダイエット依存とか、摂食障害とか結構あるのよね。

でも、YOUTUBE見る限り、ほかの人はもっと重いし、アル中なんてもっとひどいしってごまかしてきたけど、重い軽いではなくて、自分がどうかなんだよね。

そりゃあね、あるよ。それも復讐心の表れであり、私自身を愛してほしいという欲求だよ。

ああいいな、こういう醜さ。

自分の醜さに蓋をしてきたからさぁ。

わたしはまじめでかわいい箱入り娘でいないといけなかったからね。

みんな少なからずあるんちゃうかな。

一緒に見つめていこうね。

そして、自分が行っている人権侵害を知っていこう。

自分自身に対する人権侵害。家族に対する人権侵害。

人権侵害は愛情じゃないからね。

めっちゃ人権教育大事やん。

わたしが話せる言葉なんてね、私の気持ち以外にないよ。

あなたのために言えることなんて一つもないわよ。

自立。自立していこう。

そうしたら、本当の自分、あるがままの自分に近づいていけるから。

まじめでかわいくなくたって全然いいよ。


愛するってね。大切にすることだよ。

自分を大切にして、相手を尊ぶことだよ。

愛し方を学んでいないんだ。みんな。傷つけられて、侵害されて、それが愛なんだと勘違いしている。

でももう子どもじゃないので、受け入れてるだけの子どもじゃないので。

自分をかわいがってあげて、守ろう。

わたしの人生。私の時間。私の生きる姿を。

あーあとね。容姿。

太ったとかやせたとか目が大きいとか小さいとか、毛深いとか肌が黒いとか白いとか、背が高いとか低いとか、胸が大きい小さいとか、セクシーだとかセクシーじゃないとか、見た目に関することは全部、ぜーんぶ、まーじーでただの人権侵害なんでね。

コミュニケーションじゃないので、「細くなったね」なんて、誉め言葉でも何でもないので。

語るなら相手のことじゃなくて自分の想いを、そして、もし相手のことをほめたいなら相手が持っているものとか、相手の作り出したものに関してほめるのがいいと思う。

でもそれも、「わたしはいいと思う」というだけで。

自分が責任をもって語れるのは、自分の想いだけなんです。

その想いを耕すために経験があるんです。

だから、経験って大事なんです。成功も失敗もないんです。どんな経験でも、その人の言葉の重みとなるんです。

それを奪わないで。自分以外の人のものだから。

大切にしてあげて。

それが愛するということ。

一歩一歩、進んでいきましょう。

生まれてきて、本当の自分へ還る、長い長い旅ですから。

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