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無限に存在する私たち

最近すごく意識が変わりました。

それは、わたしはわたしという情報が集まって受肉した存在なのだということ。

そして、この世とは無限に存在していて、わたしたち自身も、その全てにあること。


はじめの気付きは、とある明け渡しの時間、ナビゲーターのしほさんが、わたしたちはエネルギーが集まって現象化した存在って話したときでした。

ほんまや、それだ〜!と閃きました。

よく人はオーラがあるっていうけど、オーラは己から発しているんじゃない。オーラが凝縮して受肉したのが三次元の物質なんだと。

だから、目に見えるって、関われるって、本当に奇跡なんですね。

成長とは、変化とは、うち側から溢れるのではなくて、集めて増やしていくものなんだって。

ああ、だから愛情深く、手にかけて、見つめることなんだって気づいたんです。

無視がよくないっていうのは、つまり情報が集まらないから形を作れないってことなんですね。

その後、多恵さんに瞑想前にアロマかぐとよいと教えてもらってやってみたら最高に気持ちよくて、更にリンの響きを聞きながらしてみたら、もっとよくて。

音を鳴らしたあと、瞑想すると、その音が辿る道を追いかけていくことができます。

そのイメージ化をアロマの香りが助けてくれてます。

音に導かれて、わたしの意識が蝶になって羽ばたくと…。


一度生まれた音は、宇宙の中にある、地球の中にいる、わたしたちの中にある宇宙の中にいる、わたしたち……その全てへ、無限に響き渡っていきました。


音とは、この目に見える世界にひろがるだけじゃなくて、こんなふうに響いてるんだ…と初めは思ったけど、これを繰り返すうちに、ちがう、音だけじゃない、この世の成り立ちがそうなんだ。

わたしたち自身が無限に存在して、響きあっているんだ、と腑に落ちました。

だから、本当に本当は、何をしても大丈夫なんです。

最初から許されているんです。

無限に存在するって、そういうことなんです。

全ての選択肢を生きているんです。

ちょっと何言ってるかわからない。

でも、この世に受肉し続けることは最高のエクスタシーだから、どれだけ不本意でも、認められなくても、どの感情も生き方も、気持ち良いからそれを選んでいるんです。

なぜなら、大いなるわたしたちは、それを経験したくて、生きているから。

そのことをまず認めると、なんだかとても楽です。

こういう意識に変わると、今後のことはあまり意味をなさなくなります。

本当に今、生きていること、それだけで十分だと感じます。

ありがたい。

また気づいたことあったら書きます。

読んで頂いてありがとうございました。




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