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誰かを幸せにしたいなら、自分が幸せになるより他ない。

書くことが追いつかない程、日常のすぎさるスピードの早さよ。
今まで、何か一つの出来事があると、まず一人になって落ち着いて内省して、整理して、ラベルを貼って棚にしまうっていう精神的作業を繰り返していたのですが、この前ふと「内省やめた」って思ったんです。

落ち着いて何があったかを考える時間ってそんなに必要かなって。
反省が必要な出来事はもちろんあるけど、それはすべてではないし、相手の反応はあーだったこーだったと目の前にいない人のことを思い出して、わたしはちゃんとできてたかな?何が正解だったかな?って考えるのはそんなに大事なのかなぁって。
それは反省ではなくて、自分に対する点数付けであって、相手からどう見られてるかで、人生なんて何にも変わらんよなって。

自分が出したことで、人が何を感じるかはその人次第なんだから、そこを推し量ることはできない。

間違えたことに気づいたら、心の底からごめんなさいをするだけでよかったんだけど、そうする前に間違いはなかったかな?って荒さがししてたな。

出したものが返るんだから、そこに誠実であればいいだけで、出来なかったなら次すればいい。わからないことはわからないでいい。

バカなふりをするより、わかるふりをするより、素直でいることだ。

だって人生は短い。

明日、自分はもうこの世にはいなかったとしたら、今日何をするだろう?そう思いながら生きはじめてるし、そう思いながら生きていられる日常に感謝してます。特の夫くんに…。

やりたいことは趣味にとどめて、嫌なことでも安定した職を選ぶという超慎重な彼ですが、やりたいことって爆発的な創造力を生むんだって、最近で会う方たちを見ていて感じる。

創造は創造を産む。オートで未来がやってくるより、未来につながる活動を今やる。そういう人の語る言葉には、ゆるぎない信念と説得力がある。

夫くんには、精神的に楽になって、思うさま好きなことをして生きてほしいと思うのだが、それは彼自身が決める事であって、彼は彼でOKなのだろう。

人生は楽しいものだって、子どもが思えるとしたら、それは親が人生を楽しんでいるからだと思う。

絶対に人に指図はできない。それは相手の創造性を奪うから。

わたしができるのは、自分のことだけ。

自分のしていることが何か、気付けるのも自分だけ。

垣根多いなぁって最近よく気づく。なんか面倒なマイルールをたくさん作ってる。特にお金。

それに一つ一つ気づいていくと、できないことなんてない。

人と会えば会うだけ、話を聴けば聴くだけ、新しい考え方や物の捉え方、創造性に出会う。

最近、それがめちゃくちゃ楽しい。ちょっと癖になってるとこある。

多分ずっと前から、そうなんだけど、最近さらにそれが加速してて、今年に入って新しい人と出会うこと、再会もめちゃくちゃ多い。

いろんな考え方、生活、創造性、悩み、感情…あるけれど、底の底、背後の背後には普遍的なものを感じる。

わたしはそれを愛と名付ける。

わたしは本当に人が好きだ。その人の中には私自身も入っている。

会いたい人、好きな人がたくさんいるし、目の前の人のことが相変わらずすぐに好きになる。これはもうそれを含めて私自身だと知っておこう。

そういうのは変えようがないし、好きだからといって全肯定しなくてもいいのだ。それぞれ違いがあるのだから、ここはなんだか違うなーと思うのは自然なことだ。

苦手な時とか、大丈夫かな?って思う時ももちろんある。

相手に対して誠実であることは、自分に対して素直であること。

したいことも、したくないことも。

わたしも、会いたいと思ってもらえる人になれるかなぁ。

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