曼荼羅と子ども。-空に至る道5-
すべての形あるものは空から生まれてきます。
空とは無限です。形あるものは有限です。
煙も、雲も、電気も形をもっています。幽霊や天使といった半透明の存在も姿がある限り有限です。
有限を見ている限り、有限の世界にとどまることになります。
大事なのはその背後。有限のものたちと生み出している無限に目を向けることです。
無限は目に見えません。匂いも、音もありません。無色透明です。
しかし、そこからしかエネルギーは注がれないのです。啓示はそこからやってきます。
すべてを0に保つために常に働きかけているのです。
なぜなのか、それは人である間はわからないことだと思います。
料理や絵を描いているときはある程度の完成図が見えているので、そこへ近づける作業だからこの両者は私にとって似ていると書きました。しかし、完成図という形がある限りこの作業も有限の中にあります。
曼荼羅を描いているときはその逆で、初めの書き出しから仕上がりまで終わりが見えません。それは無限から来ています。
こどもが育つことや植物が育つことも同じだと思います。結果の像を持つことなど不可能だからです。
像を持ってはいけません。
形があるということは、過去があるということです。それは過去に意識があったという結果だからです。マクロの視点で見ると、人としての過去は戦の歴史であり、失敗の歴史だと思います。
現代社会は成功しているとはいえません。この社会は偏りが大きく、すべての人が平和で穏やかに過ごせているとはとてもいえません。社会が有限にとどまる限り、崩壊を免れません。
本当にもう崩壊を繰り返したくはありません。
未來の子どもたちに何を残せるでしょうか。
わたしは、悔いを残さないために生まれてきました。
なので社会を変えるためにできることをします。それは、己の意識を変えることです。この世は無限であると認識することから全てを始めます。
でも、今までそのことに失敗し続けてきました。
だから、これからは今までとは違う方法を採用するときだと思っています。
わたしにとってそれは、常に新しいことをすることです。
だから、曼荼羅を描いています。
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