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竹生島からの〜中江藤樹「藤樹神社」おかげくま参り

こちらの続きです。

 竹生島の帰りに、普通の神社ではない神社にも #おかげくま参り しました。それが、安曇川町にある近江聖人・中江藤樹を祀る「藤樹神社」と #近江聖人中江藤樹記念館 です。

国道161号線から「与右衛門さん通り」を右折すると藤樹神社と中江藤樹記念館に到着します。

なぜ中江藤樹?

 キリスト教哲学者・内村鑑三が1895年『代表的日本人』を英文で発表しました。この書は、欧米人に向けて日本および日本人がなぜキリスト教国ではないにもかかわらず、低級な野蛮国ではなく、高尚な歴史を有する文明国だということを主張します。当時の日本国は欧米列強から不平等条約を結ばされ、文明国として認知されていなかったからです。
 キリスト教者である内村が5人の日本人を例に出して、歴史的に長年日本人が培ってきた考え方や価値観を伝えた名著です。

本書で、中世において「より良く生きる」を村人らに教え説き、「中江心学」として熊沢蕃山ら諸藩の家臣までも門人となった偉大な教師の例として取り上げられた人物が中江藤樹でした。

 中江藤樹は、日本陽明学=「心学」を確立した儒者です。老母のため故郷に戻り、村人たちに「より良く生きるとは何か」「1人の人間としていかに生きるか、生きる力の源泉をどこに求めるか、それをどのように考えて実生活の場でいかに実践するか」を教える私塾を開きます。

 教えたのは、『論語』『大学』『中庸』『王陽明全集』等の古代漢書の受け売りの道徳ではなく、「生きた学問」=実践に使える学び=心学です。

 藤樹は、神仏や殿様等の超越者に救済を祈念するのではなく、自力救済の道を示しました。「天人合一」=自分は天の一部という考え方を説き、「より良く生きるとは何か」「1人の人間としていかに生きるか、生きる力の源泉をどこに求めるか、それをどのように考えて実生活の場でいかに実践するか」を追求しました。

 現代社会において、私たちも、心折れそうな事態が続出し、途方に暮れて、道を失いがちです。だからこそ、1つには神仏に祈り、頼ることで道を見出そうとしますし、1つには「より良く生きるには?」と現実の中から答えを見出す努力を繰り返しています。

 神社仏閣で願望成就を祈ることに加えて、藤樹先生が説くように「より良く生きるには?」と現実の改善に勤めることによって、道が拓けると考えました。

中江藤樹記念館へ

 こちらの記念館では、近江聖人・中江藤樹の業績や思想を子供にもわかりやすくアニメで説明してくれたり、また、実際に藤樹が記したメモやレポートを展示、しかも、学術研究員のかたが丁寧に藤樹先生の思想や考え方を説明して下さるという、藤樹ファン、到良知ファンの方にはたまらない施設です。

強いていえば、藤樹先生を神様化して祀った近代的な神社仏閣施設、ともいえましょう。

記念館でなければ聞けない話も伺えました。
印象に残った話を3つご紹介します。

1、「致良知」

一般に、(りょうちをなす)と読まれて、「人間の心に本来そなわっている良知を拡充、発揮する」と解釈されています。

 しかし、藤樹は「良知に致る」と読んでいたそうです。それは「人間の心には、本来そなわっている良知と意=悪 が心の中に同居している。あなたが良知を発揮しようにも、同居する「意」がそれを妨げる。そこで、「意を誠とする」工夫や努力をしてこそ、良知が発揮できる。良知をなすのは、良知に到った後である。良知に到るまでの心の過程を学ぶことが大切だ」という意味で、(りょうちに到る)と読んでいた、というのです(吉田公平氏の解説より)。

2、天とつながっている

「(嘘ついても、悪いことしても)おてんとうさまが見てるよ」
そんなことを言われて育った方もおられるでしょうか?

この「お天道様」について、一般には次のように解釈されています

人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く語。お天道様がそのまま太陽を意味することもあれば、神や仏といったものの象徴として扱われることもある。

しかし、藤樹先生は、「天」を次のように解釈していました

天を、人の外側にあるもの、超越的なもの、ではなく、天は人間に内在的するものである。天から分け与えられた神が誰の中にもある。人間は、皇上帝=お天道様の命を受けて、生まれた存在であり、単に父母から生まれたわけではない。天と人とは繋がっている。たとえ父母を失ったとしても、嘆き、悲しむことはない。誰もが天とつながっているから、人は孤独ではない。

と解釈したというのです。
この解釈は画期的です。現代社会の問題は「孤独」です。誰もが、孤独で暮らし、孤立で亡くなることを怖れています。自殺率は世界一、年間2〜3万人が命を落としています。

https://www.mhlw.go.jp/content/R4kakutei01.pdf より

うつ病患者が増え、引きこもりが増え、結婚率は減り、少子化は進む。それは、自分が孤独で自分だけで1人だけで生きている、という世界観だから。

でも、自分が、たとえ1人きりだったとしても、天としっかりつながっている、という意識があればどうでしょうか。たった一人で孤独、という考えから、たった1人きりでも天とつながっているから大丈夫、お天道様とつながっている、お天道様が見てくださっている、という意識があったらどうでしょう。

藤樹先生は、「天と人とは繋がっている。」「あなたの中に天がいるんだよ、孤独じゃないよ」という教えを江戸期にすでにしてくださっていたのです。

3、名利を避け、清貧の中で求道生活を続けた高徳の人

 藤樹先生24歳の時、幕府の御用学者、当時自他ともにトップの儒家として認められていた林羅山が剃髪して、法印位を受けました。

このことを藤樹先生は、儒家としての心得を忘れ、僧侶のような華美な生活へ利得を優先したことを『林氏剃髪受位の辮』として大いに批判しました。

林道春、記性穎敏にして博物拾開なり、而して儒者の道を説いて、徒らに其の口を飾り、仏氏の法に放って妄りに其の髪を剃り、安宅を味しうして居らず、正路を舎てて由らず、朱子の所謂能く言ふ桑鵡なり、而るに自ら真儒と称す
「羅山は、口先だけで儒学を実践していない」と批判しました。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nbukiyout/22/0/22_KJ00000183025/_pdf より

非儒学的世界に身を置き、常に妥協を強いられた羅山の苦しい自己弁護に比し、儒学の理念に立脚した藤樹の筆鋒は鋭く、かつ明快であった。文章自体の説得力と後世の評価は、“御用学者”羅山よりも、藤樹の方に断然分がある。

「倭国にて儒者と称する者は、徒だ聖人の書を読むを知るのみ」(「安昌弑玄同論」)とみていた藤樹にとって、「記性頴敏、博物洽聞」の羅山はまさにその権化に違いなかった。後に藤樹は、その著『翁問答』において、儒者論を論じた。それによれば、四書五経、諸子百家の書をそらんじて「口耳をかざり利禄のもとめとのみ」する儒者は、「俗儒」であり、その学は「にせの学問」であるという。これに対して、「儒道をおこなふ人は、天子・諸侯・卿大夫・士・庶人なり。此五等の人のよく至徳要道を保合するを真儒と云なり。しかるゆへに、天子・諸侯・卿大夫・士・庶任のしょさ(所作)が、すなわち真儒のすぎわひにて候。五等の所作のほかのすぎわひは、天命本然の生理にあらず」というのが、藤樹の結論である。「がくもんは人間第一の急務にして、なさではかなはぬこと」ともいうように、儒学は、人たるもの天子以下庶民まですべてがひとしく学ぶべきもので、それは人として生きる根拠となるべき規範である。逆にいえば、「身のすぎわひ」のために学問するいわば職業儒者や専門学者の存在の正当性は認めていないわけである。

かく、自己の生き方の原理として儒学を主体的にえらびとるというのが、藤樹の学問に対する姿勢であった。

http://nihonshisoshi.blog64.fc2.com/blog-entry-181.html より

儒学は人として生きる根拠となるべき規範であり、「身のすぎわひ」のために学問するなど認められない、というのが藤樹先生の姿勢でした。

この高潔な姿勢は、時には窮屈なものとなったかもしれませんが、名利を避け、高潔に生きることこそ儒者の生き方である、という藤樹先生の姿勢は、門人らはじめ石田心学や時代を下って、大塩平八郎や吉田松陰にも少なからぬ影響を与えたといいます。

江戸期、幕府によって、神道・仏教・儒学・天文・易など学問や宗教が保護されると、そこに権威が生まれ、多額の寄付・寄進も集まり、本来、悟りや宇宙の真理を探究すべきなのに、多数の寺社が「俗」化し、ぜいたくが止められず、堕落が始まったと言います。本来、我欲をコントロールすべき僧や儒者が逆に欲まみれに堕落した姿に、藤樹先生は我慢ならなかったんだろうと思います。

こうした初めて知るような藤樹先生のエピソードが知れたのは、記念館の研究員さんのおかげです。長時間にわたりご指導いただき、ありがとうございました。

記念館で学んだ後、「藤樹神社」へご参拝です。僧や宮司が居なくとも、参拝者の「明徳」=「良知」を信じる。決して疑わない。ここにも「藤樹」先生の教えが徹底しています。

「代金は賽銭箱に入れてください」とは、参拝客を信頼していますよ、というメッセージ。
藤樹神社


御朱印も自分でスタンプを押して作る方式です。

藤樹先生は、説教臭く、上から目線で、村人たちに教えたのではありません。

当時は、教育や学問などは世捨て人がすることだ、という時代にもかかわらず、「より良く生きる」には、こうした考え方で人生に向かうといいよ、人生うまくいくよ、ということをわかりやすく説いたと言います。

このNOTEは長文な上、少々説教臭くなってしまいましたが、パワースポットを巡って授かった開運・金運の御神力を人生に活かす=より良く生きるための工夫をしてこそ、実現するんだよ、ということを藤樹先生は、教えてくださったように思います。

長文お読みいただき、ありがとうございました。
次回は、白髭神社様です。

(続きます)

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おかげくま参拝は、様々な事情で神社仏閣へ参拝できない方々と観光客・参拝客の減少に苦しむ寺社様との架け橋になれば、とくま作家Ray作テディベアによる代理参拝を支援しています。この活動を応援いただける方からサポートいただけると幸いです。