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「人に頼る」とは 「できない」を頼ることではない

「人に頼る」

苦手だ。なぜなら大抵のことは「やればできる」からだ。私は優等生気質。「できない」と口にするのは負けた気がする。(誰と勝負しているのやら…)そしてなんとなく70点くらいのことはできてしまうのだ。それでもやっぱりできないことはできない。あたりまえだ。そういう時は人に頼らざるを得ない。こんなふうに「できないこと」を人に頼るのはよくある話。それが「人に頼る」と思いがちだが、違うんじゃないかと思うのだ。

できないことは頼みやすいし手放しやすい、我が家でいえば、車関係のことは夫に丸投げだ。私の苦手分野だし、わからないことだらけだからだ。定期点検や車検の手配、タイヤの交換は夫の担当だ。



数年前までの私の思考の中心は「〜しないといけない」「〜するべき」「〜できて当たり前」常に自分への評価は減点方式。それが私の日常だった。今でもその傾向は否めない。ついつい自分で全てをやろうとしてしまう。だから人に「頼る」という言葉は私の辞書になかった。だから苦手であっても「やればできること」は人に頼りにくい。

これは私のよろしくない癖だ。仕事上これが災いすることも多かった。しかし、私にその自覚はない。できるところまで自分でやることが当然と思っているし、当たり前すぎて自覚がない。何度も何度も「頼ったらいいんだよ」と言われても、何を頼るのかがわからない。だってやればできることを人にお願いするのはアウトでしょ?そんな思考だった。今から思えば「やればできること」「できないことはないけれど苦手なこと」をお願いすればよかったのかと思う。



でも、頑張ればできることを頼るということは「私はがんばってないよ」という宣言に等しい。できない私、頑張ってない私を認めるということが嫌なのだ。「〜すべき」という思考の中で生きている私には「やればできることは自分でやるべき」という答えしか持っていなかったのだ。

でも本当の意味で「頼る」とは、できないことをお願いするのではなく、できることを人にお願いすることではないだろうか?


私はなぜ人に頼ることができなかったのか?それは根底にある「役に立たなければならない」という思い。がんばらないと、人の役に立たないと私には価値はない。そんなふうに思って生きてきたからだ。読んでくださるかも心当たりはないだろうか。

できないことをお願いするのは私の中で大義名分が存在する。「だってできないんだもん」できることをお願いすることはハードルが高い。でもこの数年で私の考えは少しずつ変わってきた。今だに優等生の気質は抜けないが、少しずつできることもできないことも、人に頼るようになってきた。

「人に頼っても大丈夫」という経験。これができないからって、誰も私を嫌ったり責めたりしない。私に必要な小さな経験を積み上げている最中だ。


「話を聞いてー!」と友人にヘルプを出すこと。「ごめーん、夕飯ハヤシライス作ってー!」と息子にお願いすること。「ランディングページのデザイン、どうしたらいいかな?」とデザイナーの友人に聞いてみること。「お散歩おねがーい!」とワンコの世話を家族に振ること。すべて自分でやれなくはないことだ。


自分だけでがんばる世界から、一人でがんばることのない世界へ。もしあなたが一人でがんばる世界の住人なら、あなたができないことを人に頼ることよりも「できることを頼る」ことを思い出してほしいと思う。


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