見出し画像

仕事を辞めて好きなことをしなくてもいい

やりたいことが見つかった。でも仕事を辞める勇気がない。そんな人はごまんといるだろう。もれなく私もその1人だった。

なんだかんだと正職員の身分が長かった。パート勤務であっても「社会保険に入れること」が私の職業選択の第1条件。結婚して夫の扶養に入る人も多いと思うが、私にとって夫の扶養に入ることは屈辱的だったのだ。今となってはなんでそんなことを思ったのか意味不明だが。

一番長く勤めたのは前の前の職場で10年。その内訳は非常勤を2年、常勤を8年。非常勤時代に生活が苦しいから正職員にしてくれと上司に直談判した。その半分くらい経った頃だろうか。私は仕事を辞めたくなった。

それは、気の合わない同僚と一言も口を聞かずに1日が終わることが理由ではなかった。好きなことが見つかったからだ。

画像1

私は副業で手帳講師を始めた。手帳の使い方を教えるセミナー講師。副業は禁止だったので、こそこそ隠れて活動した。勤務はフルタイム。なおかつ土曜も隔週で仕事だったから、副業に割く時間は雀の涙ほど。それでもあのころは通勤電車の中で、毎日必死にブログを書いていた。そしていつしか、仕事を辞めてセミナー講師を本業にしたいと思う描くようになった。

だがそんな思いは非現実的極まりない。正職員という社会的身分、毎月いただくお給料、その魅力を自ら手放すなんて、どう考えても狂ってる。子どもにもこれから山盛り教育費がかかるのに。私は医療事務をしていたのだが、医療事務で正職員というのはかなり恵まれている。医療事務の業界はほとんどが派遣とパートで成り立っているからだ。今医療事務正職員を手放せば、もう2度と戻れることはない。でも講師仲間はこう言うのだ。

「かずなちゃん、そろそろ仕事辞めて講師活動に専念したら?」

そりゃそうだと思う。セミナー講師の活動に割ける時間は平日の夜か週末。週に一度は遅出勤務があったから、帰宅22時過ぎても翌日はいつも通り5時に起きる。平日に有休をとって活動するが、まだまだ子どものことでも休むことは多い。年度末は有休残数との戦い。一度はその戦いに負けて欠勤扱いになったこともある。仕事を辞めれば時間はできる。もっと講師活動も充実させられるだろう。

だけど私にはその勇気がなかった。

「そろそろ仕事辞めれば?」という仲間の言葉は、仕事をやめる勇気のない意気地のなさを責められているような気がした。

画像2

今はいろんなことがあって、医療事務正職員を手放し、その後転職した会社員の立場も手放した。だけど思うのだ。

好きなことを仕事にしなくてもいい。

私が好きなことを仕事にして後悔をしているから言うのではない。後悔がまったくないと言えばちょっぴり嘘だ。家計は火の車だし、不安は尽きない。だけど今、幸せだ。家族を送り出して、食器を洗い洗濯をしてふと時計を見ると8時30分。以前の私ならもうすでに働いていた時間だ。そこからブログを書き講座の準備をする。ある時は会いたい人に会いに行く。そして夕方にご飯の支度をする。世の中に、こんな時間が存在したのかと大袈裟でなく思う。そんな時に私の心はじんわりと温かくなるのだ。フルタイムで働いていた頃には味わえなかった感情だ。

画像3

私たちは何か大きな決断を迫られる時「どっちを選ぶのが正解なのか」と考えがちだ。仕事を辞めるのか続けるのかどっちが正解なんだと。わたしもずっとずっと考えながら仕事を続けていた。いや、はっきり言えば惰性で続けていた。仕事を続けるという覚悟がないままに。

どっちが正解だったなんて永久にわからない。だって選ばなかった人生を見ることはできないから。もし私があのまま医療事務を続けていたら?もしかすると、副業の形でノリに乗って成功したかもしれない。もしかすると、悶々としすぎて心を病んだかもしれない。(その可能性は高かったような気もするが)そんなことは永久にわからない。

今できることは、選んだ道を正解に育てること。ただそれだけ。この道を選ばせてくれてた家族や仲間やチャンスや神様にありがとうと言いながら、愚直に毎日を積み重ねることしかできない。

好きなことが見つかったらそっちに進むべき!最近はそんな風潮は少し落ち着いてきた気もする。仕事を辞めて好きなことを仕事にした私だから言う。仕事を辞めることだけが正解じゃない。仕事を辞める辞めないも、自分で選ぶ、選んだ道を正解だったと思えるように自分を育てる。

どんな道を選んでも大丈夫。好きなことが見つかったら、仕事を辞めてもいい。辞めなくてもいい。自分が選んだ道を正解に育てる。もし間違ったと思ったら、また選べいい。

自分にそう話しかけながら、私は今日も文章を綴る。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?