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あなたは人前で、素っ裸で倒れたことはあるか?


「あなたは人前で、素っ裸で倒れたことはあるか?」

こう書くくらいだから私はある。
いや、そもそも目の前が真っ暗になって気を失った経験がある人はどのくらいいるものだろうか?
おそらく経験がない方のほうが、多いのではないかと推測する。


私が初めて気を失ったのは中学1年生の時だ。

私は入院をしていた。記憶は朧げだが入院していた部屋ではなく、病棟の中にある処置室のようなところにいた。初めは腕から採血されたと思う。腕からの採血は慣れているので、はいはいどうぞくらいのものだった。


「次は耳に針を刺すね」


え?何ですって?耳に針を刺す?何ですって?何するの?
今でこそ両耳に4カ所針を刺し、毎日金属を刺して楽しんでいるが(ピアスと言え)当時は「ピアスの穴から糸が出てきて、それを切ったら失明する」という都市伝説を信じていたウブな女子中学生だ。

そして今ならわかる。
耳に針を刺す検査はおそらく「出血時間」という検査だ。耳に針を刺すなどして小さな傷を作る。そこから出血が止まるまでの時間を測定する。だが私の脳内は「何されるんだ?」で埋め尽くされていた。そして「見えないところに針を刺される」という恐怖。腕からの採血はまだいい。見ようと思えば見ることができるからだ。

さらに私の主治医の先生はいかにも「ピカピカの一年生」オーラ全開の研修医だった。何となく頼りない雰囲気の若い先生が見えないところに針を刺す。頭の中は恐怖心で満タンになった。心臓をバクバク言わせながら私は椅子にかけ、緊張しながらその時を待つ。こわい、ただただこわい。先生が私の耳を持って準備する。そして耳がしっかり見えるように顔を寄せてくる。そこで私はありえない言葉を耳元で拾った。


「あ、失敗した」


え?失敗?
何がどう失敗?
え?血が出てるの?
私が一生直接見ることができない耳で何が起こってるんだーー!
私はパニックに陥る。

今から思えば、傷が浅かったから出血しなかったのだろう。私はそこからの記憶が薄いが、反対側の耳で検査は完了した気がする。

検査が終わって病室に戻る。この時点で私は気分がすぐれなかった。ふらふらしている気がする。でもとりあえず病室に戻れば、ベッドで横になることができる。とりあえず病室を目指すんだ!
廊下をペタペタと何とか足を出して進む。よっぽど顔色が悪かったのだろう。すれ違いざまに
「大丈夫?」と
看護師さんに声をかけられた。
「大丈夫です」
だって病室まであと少し。ほら病室が見えてきた。


病室の入り口の手前には小窓がある。廊下から小窓に目をやると、私のベッドとベッド脇に腰掛けている母の姿が目に入った。
「ああ、あともう少し」
きっと私はそこで気を緩めてしまったのだろう。

次の瞬間
世界が闇に包まれた。


この時のことを母はこう話した。
「小窓からあんたが帰ってきたのがみえた瞬間、あんたが消えたわ」
私は恐怖と緊張のあまり病室前で気を失って倒れてしまったのだ。

その後すぐ私は、すぐそこにある病室のベッドに運ばれた。例の一年生先生も飛んできた。私はベッドに横になりながら
「ああ、漫画や小説によく出てくる『目の前真っ暗』はほんまにあるんやー」と考えていた。


ここまで読んでくださったあなたはこう思っているだろう。
「素っ裸?」
流石に世間知らずの中学生とはいえ、裸で病院内を歩くことはない。素っ裸で倒れたのはこの30年後だ。


今から6年ほど前だろうか?ある年の正月のこと。私は実家に帰省し、私、夫、娘、息子、そして私の両親とスーパー銭湯にやってきた。そのころすでに母は認知症だった。目を離すことはできない。ふいとどこかに行ってしまえば、銭湯の中で捜索することになる。私は緊張していた。だけど娘もいるから大丈夫だろう。


体を洗いながらも母の様子を伺う。何度も体を洗う母。一度洗ってはすぐに忘れるのだろう。ポンプ式のシャンプーの使い方が分からなかったり、シャンプーやリンスの区別が分からなかったり。認知症は相当進んでいるなと感じた。そんな母のペースに合わせながら湯船に移る。

母はすっかり痩せてしまって「ほねかわすじこ」さんになっていた。これなら湯船に入ってもすぐに体があったまってしまうに違いない。今日はゆっくり湯船に浸かれないなー、なんてことを考えていた。


だが予想を裏切り、母は湯船の中で昔話をし始める。しかもこの湯船は一番温度が高い風呂だ。私と話すのはしばらくぶりだとわかっていないだろうが、楽しそうに話している。その話を遮るのも野暮な気がして、私は昔話に耳を傾ける。
「もう少しで終わるかな」
そう思いながらも、体はけっこう温まってきた。もう終わるかもう終わるかと思いながらも終わらない。でも私は母から目を離すことはできない。
「ああ、のぼせそうやな」
この時はそれほど深刻には考えていなかったのだ。


「そろそろあがろうかー」
母が立ち上がる。慌てて私も湯船からざばりと立ち上がる。そして最後にシャワーを浴びた瞬間事態は急変する。

どう考えてもおかしい。気持ちが悪い。息が荒い。ふらふらする。どうやら母の昔話に付き合っている間に、本格的にのぼせていたらしい。しかしそんな私にもちろん母は気づくわけがない。娘はきっと脱衣所にいるはずだ。ちょっと見守りを代わってもらおう。目指すは脱衣所、すぐそこだ大丈夫。浴室の扉を開けると、脱衣所からひんやりとした空気が流れ込んでくる。

「あっ」
ダメだ。少ししゃがもう。
と思った時にはザワザワしている人の声がだんだん遠くなっていく。視界もなんだか白い靄がかかってくる。
「ちょっとー!倒れてる人がいる!」
あらあら倒れちゃった人がいるのね。まあ大変。誰のことだろう?
え?もしかして私のこと?


もしかしなくても私のことだった。私は素っ裸で、人前で倒れてしまったのだ。

騒ぎに気づいた母がタオルを肩にかけてくれた。
「あー、母モードになってるな。娘がこうなるとちゃんと母のスイッチが入るんやなー」なんだか温かい気持ちになったのも束の間、すぐにスイッチきれてどこかへ行ってしまう。

気を失っていたのはおそらく数秒だろう。
「大丈夫ですか!」とエプロンをつけた店員さんが声をかけてくれている。
「だ、大丈夫です」
いや、この状態で「大丈夫じゃない」といえる人がいるだろうか。
「これ、飲んでくださいね」
店員さんが水を差し出してくれる。ああ、ありがたい。少しずつ水を口に含み、様子を見ながら立ち上がる。母のことは騒ぎに気づいてやってきた娘に託した。


「ああ、人前で素っ裸でたおれるなんて…」
そう思いながらも私は
「なんてすごいネタなんだ!」
と思っていた。
そう、私はこの時すでにブログを書いていた。こんな出来事は美味しいネタでしかない。そう思う私はやはりイカれているだろう。だからこうやって、この素っ裸で倒れたネタをブログに書くのは2回目である。


漫画や小説ではよく人が倒れている。目の前が真っ暗になるとかいう描写は本当のことである。1回目に倒れた時は目の前が真っ暗になった。2回目は白い靄がかかったままだった。意識がなくなって倒れる経験もなかなかないだろうが、裸で倒れるという経験はもっとなかろう。こんなふうに書きながらも、やはり微かに恥ずかしさは残る。


しかし私は今回このネタを書いて、素晴らしいことに気がついた。
倒れた私が素っ裸なのなら、私を見ていた周囲の人もよく考えれば素っ裸ではないのか?
「なーんだ、裸の付き合いじゃん」 
そのことに気づいた私は、微かにのこった羞恥心をきれいさっぱり葬り去った。

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