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「嫌われてもいいから」にザワつく自分の気持ちがわかった話

誰でも「この言葉を見るとザワつく」ワードはあるかと思う。私のざわつきストライクゾーンに入る言葉は「嫌われてもいいから言う」「嫌いで言ってるんじゃない」「あなたのためを思って」だ。



なぜざわつくかと言えば、ぶっちゃげた話、過去にこの3つの言葉を繰り返されながら2時間叱責された経験があるからだ。

いや、たしかに私のことを思ってくれる気持ちはわからなくはない。嫌いで言ってるんじゃないかもしれない。でも、あなたのことを嫌いかどうかを決めるのは私だから放っておいてくれ、というのが本音だ。



ちなみに私はテンポ良く会話を進めるというのが得意ではない。特に少人数で深い話をする時ほどその傾向は強い。相手の話を聞きながら「この人の真意はなんだろう?」と考えてしまうので、返答は自ずと遅くなる。そうすると相手は次の話題に移る。


「君はどう思ってるの?」と聞かれて考えている間に相手は次の「君はどう思ってるの?」に移るので、結果的にほぼ一方的に叱責される羽目になる。こんな感じでほぼ一方的に「君のことは嫌いじゃないけど、君のためを思って言いたくない話を、君に嫌われることを覚悟で言ってるんだ」という論調で2時間。あれは辛かった。(まあ、言われるだけことはしたとは思うが)



その2時間で感じたことは

「君のためを思って」「嫌われてもいいから」「嫌いで言ってるんじゃない」

そんな枕詞をつければ、何を言ってもいいのか?その枕詞たちは、他人を叱責するための免罪符のように聞こえたのだ。


元々これらの言葉好きではなかったが、その件があって以降、特に私はその言葉たちに敏感に反応してしまう。

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先日、私の大切な方からこんなメッセージをもらった。

「嫌われても、謝ろうと思って」

心がグッと固まった後、ふっと解ける。なんでだろう?



ごめんなさいのメッセージをいただいたけれど、連絡の行き違いだけだったので謝っていただくよう事実は何もなかった。だけどこの方は本当に私が嫌うかどうかは別として、ただただ「ごめんなさい」の気持ちを伝えてくださったのだ。もしこの方に「嫌いになりました」と言ったとしても「わかりました」と応えてくださったと思う。



「君のことは嫌いじゃないけど、君のためを思って言いたくない話を、君に嫌われることを覚悟で言ってるんだ」この言葉にあるエネルギーは、君のためという綺麗な言葉に隠れている、他人へのコントロールだ。この言葉に素直に「そんなこと言うあなたは嫌いです」なんて言おうものなら、間違いなく3倍返しの憂き目に合うに違いない。



「君のことは嫌いじゃないけど、君のためを思って言いたくない話を、君に嫌われることを覚悟で言ってるんだ」こういう表現が完全に悪でもないとは思う。このような表現で、一念発起して行動できる人も世の中にはいるだろう。
だけど私はやはり苦手だ。


という私も「嫌われても仕方ないかな」そう思って話すことがなかったとは言えない。だけど本当は嫌われないに越したことはない。だって大抵の場合は相手のことが好きだから、大切だから伝えようと思うからだ。




「君のことは嫌いじゃないけど、君のためを思って言いたくない話を、君に嫌われることを覚悟で言ってるんだ」

よりも

「あなたのことが好きだから、私がこう思っていることを言うね。嫌われるのが怖いけど」

そんなふうに伝えられる自分でいたいと思う。






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