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ベルリンファミリーの輪島体験記(石川県)

(協力)深見荘 おかえりハウス・パイロットプロジェクト#3

ドイツ・ベルリンから家族6人(夫婦、子供4人)で参加

期間 2017年 8/4(金)から 8/8 (火)、4泊5日

アクセス 実家の長野県佐久市から車、所要時間片道約6時間

コスト 素泊まりで4万8千円(大人一泊3000円、子供一泊1500円で4泊)
その他 完全自炊で食費約2万円(魚代6000円)、高速料金1万3千円ほど、ガソリン代6千円ほど。オプションとして舳倉島往復フェリー代約1万9千円。

【家族紹介と参加動機】
 ドイツのベルリンに暮らす、国際結婚の複合家族です。私は2000年にベルリンに渡った日本人で、妻は北ドイツの人です。まだ東京に住んでいた頃の最初の婚姻から生まれた20歳と18歳の子供と、ドイツに来たのちに再婚して生まれた11歳、8歳、そして6歳の子供がいます。下の子供たちは現地の小学校に通っていますが、夏休みが一年でもっとも長い休暇になること、またフリーランスの私は8月はどのみち仕事が少ないことから、できるだけ毎年夏休みに日本へ帰るようにしています。もちろん、家の台所事情が許す限りです。家族の大きさにもよると思いますが、日本で数週間過ごすとなると、日本往復の飛行機代や日本でのレンタカー代も入れて、100万円ほどはかかってしまうからです(私たちはそれでも両親の家に滞在できるので、宿泊代はかからず、自炊もできるため、助かっています)。

 長期休暇を利用してなるべく日本へ帰るようにしていると言いましたが、これは私たちの場合はここ数年のことです。日本に住む両親に孫の成長を見てほしいということもありますし、子供達に父親のルーツにつながってほしいこと、ドイツとは違う日本の人々の感覚やマインドに対する感性を自分の中に育ててほしいこと、継承語としての日本語を学び続ける意欲を高めてほしいこと、日本の自然の美しさや食べ物の美味しさに感動し、心から楽しんでほしいこと、そういう動機が主です。こう書いてみると、これは日本人である私の「親としてのニーズ」なのだなぁと気がつきます。そしてこのニーズは、言わずもがなかも知れませんが、自分たちの暮らすドイツでは満たすことはできず、日本に行くことでしか満たせないものだと感じています。もちろん、子供達も毎年の日本行きを楽しみにしています。
 今回は一番上の娘は別の国に旅行をすることにしたため、妻と私と子供たち4人の計6人での日本行きを計画しました。私の故郷でもある、長野県佐久市にある両親の家を「基地」にさせてもらい、そこからレンタカーや鉄道を使って海や山に羽を伸ばそうという企てです。妻も佐久は大好きですが、自分の故郷であるわけではないので、せっかく日本へ行くのにずっと長野県にいるだけではちょっともったいないでしょう。子供達もそうです。また、私の両親も、私たちが来ると大喜びしてくれますが、もう70代半ばですし、海外からの育ち盛りの元気な子供達が4人も家にいれば、それなりに疲れもします。国際結婚の息子夫婦への気遣いからの気疲れもあることでしょう。そんなことで、両親に休息してもらうためにも、ちょいちょい出かけることを心がけています。私たちの場合に限って言えば、実家でのひと月ばかりの滞在の間に、一二週間は別なところで過ごせれば皆のニーズに鑑みてバランスが良いと考えています。長野県は美しい山や高原がたくさんあり、夏は涼しくて良い反面、海はありません。海のきれいで魚の美味しそうなところ。そうだ、能登半島の輪島に行ってみよう!ということになりました。

【輪島のおかえりハウス滞在体験記】
〈宿泊施設とホスト〉
 輪島市の中心部から車で10分ほどの海沿いのところに、深見荘という一見目立たない元民宿施設があります。現在は紡ぎ組というNPO法人が運営している滞在施設で、今回からおかえりハウスのハウス・ホストになっていただきました。石川県では第一号のおかえりハウスになります。私たちは今回、事業サイドとして現地の協力パートナーを開拓する任務と、ユーザーとしてのパイロット滞在とを兼ねた二重のミッションになりましたが、ここから先はユーザーとして「おかえりハウス滞在体験記」を綴りたいと思います。ところどころ、ユーザー視点を離れて、オーガナイザー目線が交差することもあると思いますが、そこはご容赦ください。
 長らく民宿として使われていた深見荘は築100年だそうです。そのため、それなりの老朽化が見られます。伝統的な二階建ての日本家屋で、宿泊できる部屋は上下階合わせて六部屋あります。私たちが滞在した週は他に滞在客がなかったため、実質的には贅沢な貸切状態でした。共用の台所や食堂は広く、調理器具、食器や調味料も全て揃っていて、初日から自由気ままに自炊することができました。食堂は大きな黒い木製のテーブルの真ん中に囲炉裏が組み込んであるおしゃれな作りで、この食卓を大人数で囲んで、ホストも含めて夜遅くまで談笑できることが深見荘の一番の魅力かも知れません。改修が現在進行形の部分もあり、一階客室の網戸の上部に隙間があったり、洗面所で少し雨漏りがあったり、改修投資がまだ必要な部分もあることも分かりました。と言っても、生活に不自由するほどのことではありません。
 宿泊施設というものは一つ一つ個性があるものです。深見荘の個性は、NPO法人であるその運営者の個性と深く関係しています。私たちは運営者の紡ぎ組の佐藤さんと坂井さんという二人のホストの方と一緒に五日間を過ごしましたが、そこにはまるで一緒に合宿をしているような感じがありました。それは二人とも輪島の人でなく、また深見荘に暮らしているわけでもなく、東京在住の人々で、遠路はるばる深見荘にやって来た点で同じだったからだと思います。東京からだと車で正味8時間ですから、宿主は私たちよりも遠くから来ていたことになります。このお二人はなぜ東京のような遠いところから、能登半島の輪島市にある古民宿に何度も足を運んで運営を行なっているのか?それが私には最初、大きな謎でした。輪島が陸に海に持つ魅力を少しづつ知るにつけ、そこがだんだん理解できるようになって行きました。
 「おかえりハウス」の特徴は、ユーザーの滞在全体が地域コミュニティと繋がった形での体験になる点にあります。そのためには、滞在ゲストと地域コミュニティをつなぐ「水先案内人」(私たちは「コーディネーター」と呼んでいます)が必要になります。今回は宿泊施設のホストである佐藤さんと坂井さんがコーディネーターも兼任されていました。ユーザーの滞在体験の質はこのコーディネーターの資質にかかっていると言って過言ではありません。良いコーディネーターにはいくつかの特徴があります。まずは、その地域に対する深い愛情を持っているということ。そして、そこから来る、地域に関する深い知識と、地域の人々との厚い信頼関係です。そしていまひとつが、(日本人であっても)外国からくるゲストに対する好奇心と思いやりです。
 佐藤さんと坂井さんは良いコーディネーターの代名詞のような存在でした。お二人のおかげでできた体験を以下に紹介して行きます。

〈地域体験1 陸と和太鼓〉
 輪島は日本海に面した港町であり、陸側の玄関の一つです。到着した日の晩、ホストのお二人と一緒に食堂で夕飯(実家から持って来たスパゲティソースを使ったパスタ)を食べた後で、近所の、廃校になった小学校を使った公民館に皆で出かけました。高州太鼓と呼ばれる太鼓の練習がそこで行われているというのです。このような「情報」はもちろん、ネットにも観光案内所のおパンフレットにも出てきません。地域の人々としっかり繋がったコーディネーターのみが知りうることです。また、「情報」があっても、私たちのような「ヨソ者」がそこにいきなり行けるわけでもありません。コーディネーターが事前に練習責任者に連絡をとり、私たちの訪問許可を取ってくれてあったからこそ、普段見ることができない場面に立ち会うことができたわけです。
 公民館について見ると、元体育館だった奥のホールで、小学校一年生くらいの子供から高校生までが、7、8人で練習をしていました。私たちは最初、私たちのために用意されていた折りたたみ椅子に腰をかけて練習を見学していましたが、小休止になったところで、どうぞ叩いてごらん、と声をかけられて、我が家の子供達も皆で大小様々な太鼓の周りに群がりました。自然と同年齢くらいの子供同士が教え・教えられる組み合わせになりました。私もバチを貸してもらって、叩いてみるものの、想像していた大きな音がなかなかでません。傍目には叩くだけの単純に見える和太鼓ですが、あれだけ元気の良い音を調子よく出すには相当な練習が必要になることが分かりました。なおかつ、グループ全員で拍子をぴったり合わせる必要があります。若者から子供まで一人一人の技量もさることながら、皆で呼吸を合わせるかのように、一体となって轟かせる高低様々な音色とリズムは、聞くものの心を深いところでつかむ力があります。それは、伝統と民衆共同体という、日本を古来から形作って来た目に見えない力が、躍動する音となって表出するからだと思いました。子供達含め、我が家のものは皆、鼓膜がジンジンするのも忘れて、輪島高州太鼓の力強い響きにしばし夢中になっていました。
 この太鼓の練習の場面では、とりわけ一人の人のイメージが忘れがたく私の脳裏に焼きついています。上は白のTシャツ、下は紺のジャージ、パーマがけした髪にゴムサンダルといういでたちで、じっと練習を見つめていた一人の「おじさん」です。中学か高校の部活の先生を彷彿とさせるこの男性はほとんど無口で、「さ、やるぞ」とか、「はい、休憩」くらいしか言わないのですが、練習する若者や子供を凝視する姿勢は真剣そのものです。夜はもう9時を回っています。昔はおそらく、20人、30人、あるいはもっと大人数の若者たちが練習に参加していたに違いありません。この「先生」もきっと若い頃はそうして高州太鼓の手ほどきを受けた一人でしょう。輪島も急速に過疎化の進む日本の地域の一つです。今は7、8人になってしまった太鼓団。それでも、昔と変わらず練習が続けられ、伝統が守られていることを感じました。家庭も仕事もあるだろう、このような「町のおじさんたち」や「おばさんたち」の力によって。
 もう一つ、私の心を打ったものがあります。それは、若者や子供達の太鼓を叩くときの表情や体の動きです。中でも高校一年生くらいの女の子の一人の表情が独特で、忘れることができません。心の底から楽しそうな、身体のエネルギーが解き放たれたかのようなその表情は、ひたすらに明るく、痛いほどに純粋なものがありました。私はここに、日本の地域に生きている若い人の躍動する「こころ」を見る気がしました。きっと都市部ではなかなか目にすることのできない、日本の海と山に抱かれた若者たちが保持している透明な力です。そこには何とも形容しがたい健全さがあるように感じました。
 輪島には御陣乗(ごじんじょう)太鼓と呼ばれる伝統もあり、こちらは8月にはキリコ会館と呼ばれるところで毎晩公演が行われています。高州太鼓の練習で味をしめた私たちは、翌日さっそく見学に行きました。海から上陸しようとする侵略者たちを驚かせ、怖気付かせるために考案されたという御陣乗太鼓。こちらは大人によるパフォーマンスです。舞台も太鼓も見事ですし、何と言ってもお面の面白さと迫力は独特のものがあって、大いに楽しめました。数では圧倒的に勝る海上の帆船勢力を、少人数の村人が機転を利かせて追い払うという緊張感も伝わってきます。それでも、パフォーマンスの技量や完成度ではなく、「体験」のみを比較するならば、舞台上の演舞を観客エリアから座って眺めているのと、中に一緒に混じって練習の風景を見学するのとでは、大きな違いがあります。「体験」という言葉に「体」が含まれていることは偶然ではないことを感じました。
  
〈地域体験2 海と魚〉
 漁船の数は日本一と言われる輪島港。朝四時に起きて港へ行けば、漁船の水揚げを見ることができると言われ、翌日、私たちは早起きしました。海や漁業のことを何も知らない私は、そこは築地のような世界なのだろうといい加減な想像をしていました。築地は市場であって、船着き場ではないこと、輪島で水揚げされた魚は金沢や新潟の市場を経由して、築地に到着する頃はもう3、4日は経っていることなど、何も知りませんでした。
 4時前に子供達を起こし、深見荘の佐藤さんと坂井さんと一緒に4時15分頃には宿を出発しました。4時半に漁船の船着き場に到着すると、そこは眠気など一切ないめまぐるしい世界でした。漁業組合の人たちの車がどんどんやってきます。船着き場には漁から戻った定置網漁船が横付けになっており、煌々と輝く照明の下、網であげられる魚がベルトコンベヤーの上を流れて行きます。フォークリフトが走り回っています。ほとんどが若い男性ばかりです。そして、餌にありつこうと群がるカモメや、船着き場の端に立ち、細く長い首を伸ばして海の方を眺めているサギたち。そこは、よそ者が見学などに行ける場所ではありません。定置網漁船は網だけで1億円から2億円かかると言います。そして一度漁に出ると、燃料代だけで20万円くらいかかるそうです。ですから毎回が真剣勝負です。佐藤さんと坂井さんが輪島海士町の漁師や水揚げ場の人々と顔見知りでなかったら、こんな場面に立ち会うことはありえなかったでしょう。
 水揚げされた魚たちは、分類され、セリにかけられるべく発泡スチロールの箱に入れられます。鯛やふぐ、鯖やアジ、イカなど。佐藤さんがその場でアジを20尾ほど、ゴマサバとそれは見事なヒラマサを一尾づつ入手して、私たちは港を後にしました。漁港で、セリにかけられる前の鮮魚を「浜値」で譲ってもらったのです。海士町の漁師たちと特別な関係を作ってきた佐藤さんと坂井さんならではの特権です。
 私たちはその特権にあやかって、その日の朝食はアジとゴマサバの刺身三昧でした。アジの骨抜きをしたり、皮を剥いだりという手順も佐藤さんに教えてもらい、生まれて初めて刺身の作り方を学びました。魚が苦手な(というより苦手だと思っていた)妻も、子供たちもパクパクと頬張っていました。魚は魚臭いものだと思い込んでいたのは、実は本当に新鮮な魚を知らなかっただけなのだということが分かりました。
 朝食をすませると、急いでまた輪島港へ行きました。定期船で舳倉(へぐら)島へ渡るためです。輪島港から1時間半ほどのところにある舳倉島はとても小さな島で、人はほとんど住んでいません。舗装道路はなく、自動車も、島にたったひとつある診療所の車一台しかありません。住んでいるのはアワビやサザエを素潜りで獲る海士さん・海女さんで、もう高齢の人々ばかりです。冬は日本海は荒れるため、定期船も数ヶ月は来ないそうです。その間、島の人々はどうやって暮らしているのだろうと不思議でなりませんでした。その日は空も海も真っ青な、とても暑い日で、私たちはアイランドタワーという島の真ん中ほどに位置する建物の展望テラスでお昼ご飯を食べました。お昼ご飯は深見荘で朝握ってきたおにぎりと、アジとゴマサバの刺身でした。おにぎりは坂井さんが妻と一緒に握ってくれて、刺身は佐藤さんが薬味と醤油と一緒にクールボックスに入れて持たせてくれたものでした。お弁当に刺身を食べたのはこれが初めてでした。
 午後のフェリーで輪島へ戻り、夕食は深見荘で佐藤さん、坂井さんと一緒に食べました。石鯛、真鯛、チダイのお刺身を頂きました。石鯛はサザエの貝殻を噛み砕く歯と顎を持っている魚で、きれいな黒い縞模様があります。皮のところだけバーナーで炙って、すぐ氷水につけるという職人技を佐藤さんが披露してくれました。炎の熱で皮が縮まり、身が反り返ってゆく様子に子供達はすっかり見入っていました。香ばしい、しかもぷりぷりの、なんとも言えないコントラストを持つお刺身でした。
 翌日は上の息子の18歳の誕生日を皆でお祝いしました。深見荘はすぐ下が砂浜で、そこは地図にも乗っていないため、プライベートビーチそのものです。山から湧き出る清水をホースでビーチまで引いてあり、ビーチにいながら好きな時に冷たい清水が飲めて、海から上がった体から砂や海水を洗い流すこともできます。上の息子はその日、防波堤まで泳ぎ、思いっきりシュノーケリングを楽しみました。魚もたくさん見れたようです。それが佐藤さんと坂井さんからの息子への誕生日プレゼントでした。
 晩には、佐藤さんが前日仕入れたヒラマサを息子のために捌いてくれました。サザエの刺身と、ヒラマサの分厚い刺身を、お腹いっぱいになるまで食べました。上の娘はヒラマサを指して、こんなに美味しい魚は初めて食べたといい、魚の身が「甘い」と形容しました。贅沢な海の幸をこんなに食べられるとは私も全く想像していませんでした。しかも、出てきた料理をただ食べる、というのではなく、漁師たちの世界を垣間見たり、水揚げの現場を見たり、魚をその場で仕入れたり、刺身を造るのを見習ったりと、「魚を食べる」ことの意味の広がりを学ぶこともできたわけです。「海ごと魚を食べる」とでも言ったら良いでしょうか。日本海を文字通り「体感」できた日々になりました。

【おかえりハウス視点からの感想】
〈コーディネーターの「インターフェース力」について〉

 今回私たちが体験したように、地域の若者や子供達の太鼓の練習に参加したり、定置網漁船の水揚げシーンに立ち会うことは、普通の観光プログラムにはない「コンテンツ」でしょう。そしてそれを可能にするのは、地域にしっかり繋がった優れたコーディネーターだ、ということを述べました。ところで、佐藤さんと坂井さんの「何」が、彼らをして優れたコーディネーターにしているのでしょうか?外からやってくる私たちにとって興味深いであろうことを的確に想像し、そこに私たちを誘い、陸先・水先を案内することが、そもそもどうしてできるのでしょうか?自分の考えたことを勝手に言わせてもらうならば、それはお二人がもともと自ら「外部」から来ているからこそだと思います。地元の輪島に生まれ育っている人ならば、地域の太鼓の伝統も海の魚も当たり前すぎて、ことさら面白いとも思わないのではないでしょうか?私たちが深見荘に滞在している間に、輪島商工会議所の専務理事の方が佐藤さんと坂井さんを訪ねて来ましたが、その方がこうおっしゃっていました。「何曜日が定置網漁船が帰ってくる日だ、などということは輪島の人でも知らないんです。お二人はおそらく輪島の人よりも輪島をよく知っている」。
 現在、日本の地方には、その地方出身ではなく、外からその地域にやって来て住み込み、地域おこしに日夜奮闘している人たちが多くいることを私は知っています。彼らはそこに生まれ育ったわけではないので、「意志して」、「自ら選んで」その地域に暮らしています。その地域の良さも欠点も内側から知り尽くし、その地域の振興のために尽力しているこれらの人々は、外部の視点も同時に持つことができます。だから、外から来る人が、その地域の何を面白いと感じるかを想像することができるのだと思います。
 地域の良いものを深く理解し、地域の人々の信頼を勝ち得ると同時に、外部の人がその地域の何に価値を感ずるかを知っており、地域と外部の二つの世界を繋げることのできる力を、私は「インターフェース力」と呼びたいと思います。インターフェースというのは、「向き合う顔と顔をつなぐもの」を意味する言葉です。向き合う両者が相手に何を見出すかを知りつつ、両者を引き合わせる力、それがインターフェース力であり、それを持っているのが優れたコーディネーターだと思います。

〈もう一つの「インターフェース」としてのユーザー〉
 私たちのような海外在住日本人が、輪島に短期滞在してその魅力を知り、楽しむだけに終わってしまってはもったいないでしょう。輪島のような地方の味わい深い魅力を、海外に住む外国人の心にも響く形で正確に伝え、外国人が東京・京都・大阪など大都市以外にも様々な地方を訪ねるように働きかけるためには、どのような「インターフェース」が役立つでしょうか。それは日本の地方の魅力を深く体験し、日本の外部の文化を知悉しており、外国の言語で情報発信ができる人々ではないでしょうか?そうだとすれば、日本の地方に滞在する海外在住日本人と、各地方のコーディネーターの両者が、海外と日本の地方を結ぶ橋の両端の柱となり、日本の地方への「心あるインバウンド」のためのヒューマンインフラを形作ることができるはずです。おかえりハウスはそのような流れが生まれるための設計図を描いていきたいと願っています。
 
(終わり)
 
 

 

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