いつも不愛想な先生にあこがれて

私の尊敬する先生はいつも不愛想だ。
美人で優秀な女性だけれど、無駄に愛想笑いなんてしないし、
必要以上に社交的にしようとしない。

けれど、先生は優しい人だし、自分をあまり不愛想だと思っていない感じがする。

私は、一見付き合いづらそうな先生にとても憧れている。
その理由は、ずっと先生が先生でいることだと思う。

先生は、人によって態度を大きく変えない人だ。
親しい人でも親しくない人でも、基本的に面白いと思わない時は笑わない。

少し仲良くなると、不愛想なまま話しかけてくれる頻度が増える。
そして普通に笑いかけてくれる頻度が増える。

うらやましいといつも思う。
私も先生みたいになれたらといつも思う。

自分は、態度や意見を人によって変えたり、テンションとか、好みとかも相手に合わせてその場をやり過ごす。
もう疲れたと思って、みんな大嫌いと思って、それが本音だと思っていたら、ぽしゃった時みんな思っていた以上に優しくて、自分の思っていた世界は幻だったのかと考えさせられる。
私が見ている世界は、私が作ったまやかしなのか。

私が進もうとする道は希望ではなくただの逃げ道なのか。

けれど、結局はみんな自分が「作った私」で知り合った人ばかり。
「作った私」が本当に、皆に作った通りに伝わっていないかもしれないけれど、どうしても「作った私」で釣り上げた魚にしか見えない。私が、築いた友達じゃないのだ。

でも、作っていない自分も、どれなのかわからない。
どれなんだろう。どんな態度が楽かもわからない。

考えが極端で、すぐ影響される。繊細で、打たれ弱くて、思春期引きずりまくってる。いつも逃げ腰で、納得できないと行動しない。

人付き合いは、いつも悩みばかり。家族にさえ気を使う。
いつも限界まで何かに頑張ると、ほとんどすべての人間関係を切る。
いつもみんなの顔色を窺って、態度を変えて、友達を作る。

組織に入ってみんなに合わせると、結構私のことを好きになってくれる。
けれど、無理していくうちに私はみんなを嫌いになっていく。

どうやって人と接したらいいのかわからないと言う人に
「相手が好きそうな態度で合わせればいいのに」と思っていたけれど、
本当は、私もどうやって人と接したらいいのか分っていないのかもしれない。

多分、極端なんだと思う。考え方みたいに、人への合わせ方も。
なんで極端になるかっていうと、自分は「そのまま」だと人に見捨てられると昔から思っているからなんだと思う。

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