見出し画像

わからないことへの耐性

わからないことへの耐性には何種類のタイプがあるのだろうか。無理をして、いやもう少し正確にいうと魔が差して、カントの『純粋理性批判』を読んでいる。そしてこれがさっぱりわからない。

よく子どもがいうじゃないか。どこがわからないのかがわからないって。あるいは会社で、「何がしたいんだからわからない」という発言もよく聞く。

誰だってわからないのはなんとなく気持ちが悪いし、学校教育のおかげでわからないとどこか自分が責められているような気持ちになるのでわかりたいと思うのが人情だ。

でも、本当の本当はわからないことの方が多い。あるいは、わかることは本当に少ない。ものすごく雑駁にいえば自分以外の人の考えていることは本当にはわからないし、自分の気持ちだって大してわかっていなかったりする。世の中のたくさんある空気の分子の動きだって大まかにはなんとなく「こんな感じ?」と気象予報士の人はいうけれど、細かくはわからない。わかるはずがない。全ての物体や粒子の情報がわかるラプラスの悪魔はいない。

つまり、かなりのことはわからない。でも、みんな案外とわかった顔をして生きているし、困ったりもしない。私も言うほど困ってはいない。

ここでいう困らないというのは、「わからなくても困らないから、わからないこと自体を忘れてしまっても大丈夫」というタイプの《わからなさへの耐性》だと思う。電子レンジがマイクロ波で加熱しているという程度がわかっていれば、なぜマイクロ波で加熱できるのか以外にも、そもそもマイクロ波ってどうやって作るのかとか、マイクロ波を作る機械はどうやって作るのかとかはわからなくても困らないのだ。

別のタイプのわからなさは、どこがいいんだかわからないって感じのわからなさだ。先日、川端康成の『片腕』という短編小説を読書会のために読んだが、正直にいえば、どこが良いんだかわからない。読書会では面白かったという人もいたから、まぁ、それはそれでありなのだと思う。つきつめてその面白さを理解しようと努力してもよいのだが、まぁ、そこまでする必要もない。川端康成だって雑誌に発表した当時、この小説になんらかの価値を見いだしていただろうし、出版社も読者もそうだったのだと思う。けれど、わたしがそうである必要もないし、時間は有限だ。

そう考えると、程度の差こそあれ、わからなさへの耐性とは《どうでもいいや》ということなのだろうか。

カントはエラい人らしい。カントの入門書もたくさんあるので、「カント、すげぇ~面白ぇ~!」と思っている人がいるはずだ。数学や経済学やその他のさまざまな分野の学問もそうだ。それはきっとちゃんとわかると面白いのだ。あるいは、ちゃんとはまだわからないことがあるから面白いのかもしれない。これは《どうでもいいや》というタイプの耐性とは、結果としては似ているけれど、なんだかちょっと違う。

時間をかけて、いろいろとあれこれやっていると、「あれれ、面白いかも」という瞬間がくるのだろう。サッカーとかスポーツもきっとそういうものに近いと思う。だとすれば、ここでの《わからなさへの耐性》は、時間遅れに対する耐性と言えるのかもしれない。

でも、それにしても、カントの『純粋理性批判』はわからない。読んでいて、「これ助詞の使い方がおかしいんじゃないの?」というほど、日本語としてわからない。《時間遅れに対する耐性》は、登山でいうとちょっとずつ登っていけばいつかは山頂につくというタイプに思えるが、いきなり切り立った北壁のような絶壁と対峙したら、それはもうなすすべがない。時間をかけるというよりは、勾配がキツすぎて、直角かヘタをすればオーバーハングしているわけだから、これは別のタイプの耐性が必要になる。だって実際に登る奴、失礼、登る人はいるのだから、手順とさまざまなプロセスとで、まぁ、かなりの線まではいけるはずだろうとは思う。

でも、それはちょっと《わからなさへの耐性》とは違う気がする。もっと別のタイプの耐性がありそうな気がするのだ。

いまのところ、それは、《わからないままに放っておきながら、わからないという状態に留まらないという意思をもちつつ、あえて、わかることを強く希求しない耐性》のような気がする。

《大リーグボール1号のような判断停止の耐性》と言ったらわかって貰えるだろうか。明日のジョーの力石のように燃え尽きちゃダメなのだ。あるいは《大リーグボール3号のような究極の力の抜けた弱々な感じの耐性》。うーん、あんまり良い比喩ではないなぁ。

つまり、分かることの0~1の間のどこかなんだけれど、あえてそれがどこかと確定させないようなままでいるような《わからなさへの耐性》。

駄文を書いて逃避する今ではあるけれど、そこにはもうちょっとで掴めそうな何かがあるような気がするんだよなぁ~。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。