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変化の予兆:ユニークさからの帰結

ユニークであることが良いとされていると思う。それが風潮なのだ。

2003年に流行った”世界にひとつだけの花”は、No.1になるかわりにOnly Oneになれという。良い歌だなと思う。曲もいいし、歌詞もいい。

この歌が流行った頃、子どもは幼稚園に通っていた。運動会では子どもたちはこの歌に合わせて踊った。この歌を聴くと思い出す。タンスの奥にはそのときのビデオがある。

ユニークさとは他と違うこと。一番でなくてよい、他と違ってよい。それは祝福と呪いだ。人はそんなには違わない。

だから、この歌は人と違えとは歌わない。君は君でよいと歌う。でも、感じてしまう。人と違え、人と違え、人と違えと。

引きこもりたくなってしまわないか。人と違うということはエネルギーが必要だ。そして人と違うことが叶わないとき、そのエネルギーを防御シールドに使うことが合理的な戦略となる。

ATフィールドとは異形のものとなった使徒たちの最後の防壁だ。防壁がなければ心は均質な世界に溶けてしまう。自分を守り、世界に溶けてしまわないためには防壁が必要なのだ。防壁がなければ私たちはどんどんと小さくなり均質の海に溶け込んでしまう。

もし防壁ではもはや守り切れないならば、心を異世界へと飛ばし、こちらの世界ではユニークであることを止め、世界に溶けて万歳を叫ぼう。1984の二重思考(ダブル・シンク)とはそういう戦略だ。

言葉はニュースピーク(Newspeak、新語法)で語ればよい。曖昧さを排除しよう。【自由】には多くの意味を持たせてはいけない。それはA地点からB地点への移動が可能という運動の意味のみに用いよう。いや、違う。その言葉そのものを消してしまえば、もう【自由】について考えることすら難しくなる。だからまずは言葉の既存の意味を破壊しよう。【顧みる】という言葉には【顧みない】という行動を重ねることで意味を中和し、その言葉自体の価値を棄損しよう。

ユニークな存在でありたいと願いつつ、ユニークにはなれなかった自我の亡者によってそんな世界は創られるはずだ。「それは誤読だよ」と誰も伝えず、自らを顧みず、何者かになりたかったというコンプレックスに突き動かされる世界。それは皮肉な創造行為だ。

暗いことを考えることは楽しい。それは逃避であり防壁だからだ。

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