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時代の変曲点

時代の変曲点というテーマでアニメ風の絵を、1280×670 px で描いてください。

たぶん、《時代》と《変曲点》を、《時代劇風》と《2つの相対する世界》として捉えて描いてくれたのだろう。思ってもみない絵になった。

時代というのをどれくらいのスケールで見るかというのはずいぶんと人によって違う。

今日のニュース的に「政局」というような観点にたてば、市井の私たちにとっても、政治家や政治記者にとっても、概ね自分が生きてきた時代、知っている時代の、特に最近のことを捉えていう。時代の変曲点として捉えるにしても、せいぜい1990年頃からの20~30年ほどの変化からみた話になる。それだって、Google創業が確か1998年だからずいぶんと様変わりしたことになる。

誰だって生まれる前のことはそんなにはわからない。教科書や映画や本などでみかけて「そうだったんだ」と思うぐらいだ。20~30年というのはそういう時間のスケールにある。

以前、高校生と高齢者を対象にした写真を使ったワークショップを企画して、高校生に「次回、昔の写真を持ってきてください」とお願いしたら、自分たちの幼稚園の頃の写真を持ってきた子がたくさんいた。

彼らを責めることはできない。説明の仕方が悪かったのだ。彼らにとっては自分たちが幼稚園の頃の写真が「昔の写真」であり、それだって10年以上前の写真なのだから丁寧に見ればいろいろな発見があるはずだ。

変曲点というのはカーブの曲率が大きければ大きいほど気づきくい。10年の変化、20年の変化、50年の変化で、「ああ、あのときが変曲点だった」といえる点を見つけるのは、時間軸が長くなればなるほど難しくなる。

たとえば、「ここ100年~150年のスケールで考えたとき、現在は変曲点にあると思いますか?」という問いに答えるのはかなり難しい。確かになにかが大きく変わりつつあるような気もするけれど、それが「ああ、この瞬間がこれから50年先に《変曲点》だった」と言われるものかどうかを判定するのはかなり難しい。

ChatGPT君が合成した不思議な、ちょっとピントが外れたような絵も、もしかしたらまんざらでもないと言えるときがくるのかもしれない。まぁ、たぶん、違うけど。

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