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ミドルネームの思い出

もう30年ほど前だろうか。職場の山田君が「論文を書いたときに、ミドルネームがあったら格好がいいと思いません? H, J, Yamadaとか」と馬鹿なことを言い出した。

ちょうど宮澤りえが写真集Santa Feを出した頃で、山田君は「Santa Feのギャラはどれくらいなんですかねぇ? 2億円ぐらいかなぁ~。 2億円だったら、俺だったらケツの---- だって見せちゃうなぁ」と言って職場の顰蹙をかった。山田君のケツの---なんて誰も見たくないのだ。

山田君はユニークでいい奴だったが、Santa Feのこともあり、ミドルネーム発言についてもみんなは聞き流した。山田君は今でも元気にやっているのだろうか。


その頃、フランスから日本に技術研修で来ていたシュミットさん夫婦に女の子が生まれた。

彼らは「日本にちなんで」と言って、娘さんに『アン・愛子・シュミット』という名前をつけた。近所の習字の先生に、漢字で「愛子」と書いてもらって、彼らはとてもうれしそうだった。

彼らが帰国するときに、「コタツいらないよね、売ってくれない?」と頼んだら、「これは持って帰って使うから駄目」と断られた。日本の文化に馴染んでくれた気もするけれど、コタツはちょっと欲しかった。


ドロシーが米国で友達になった台湾の女性にワン・シャン・タイちゃんという子がいた。「今日もいろいろ話をしたんだ」とよく言っていたが、二人とも英語は片言で、あるとき「どうやって会話してるの」と尋ねた。「筆談?」とドロシーは言った。話したいという気持ちがあれば、なんとかなるんだなと思った。

お姉さんを頼って米国に来たワン・シャン・タイちゃんの米国でのニックネームはビビアンだった。ニックネームは自分で付けたという。ドロシーがいうには、ワン・シャン・タイちゃんの印象は、ビビアンという語感とはまったく一致しない感じだったというが、そんな風に自ら名付けをしてしまう《勢い》というものが、異なる国で生きていく上では必要なのかもしれない、とそんな風に思った。


その後、別の職場に移り、飲み会で山田君のミドルネームのエピソードを話したら、「それは確かに面白い」という話になり、その場でお互いにつけようということになった。

名付けのルールもその場で決めた。そのルールは、

  1. ミドルネームの案を出すことは本人にはできない

  2. そのミドルネームが本人のイメージに合っているかは、本人以外の人の合議制できめる

  3. 採択されたミドルネームを本人は拒否できない

という感じだ。あだ名じゃないので、なんというのかなぁ、飲み会のノリでも陰湿な感じになりにくいのが良かった。

ちなみに、私のミドルネームは、チャーリー。

《チャーリーおかだま》って、《チャーリー浜》かよっていう感じで、メンバーの発想力と語感の限界は推して知るべしだが、自分でも意外に気に入っている。

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