見出し画像

Kindleによる未来

Kindleはいい。物理的制限がないので溢れるばかりになった本棚問題が解決する。

かつては、本棚の中で本は前後・上下に重ねられ、溢れでた本は床に積み上がり、かつては本の上に布団を敷いていたことさえあった。それは私が必ずしも片付けが苦手だということではない。

そうだ、《こんまり》はきっと本の山に埋もれたことがないのだ。「触ったときに、ときめくか」という判断基準に該当しない本は、すべて読み終えた瞬間に駅のゴミ箱に捨ててきたのだ。「ありがとう」と言って本と別れるなんて、この身が引き裂かれるような思いなのだ。

そう。そんなことを思っていたこともあった。

しかし、人は日本の家庭事情に屈服せざるをえない。紙の本が好き? どんだけの贅沢だ。読んでいない本は読まれるまで単なる空間を占める紙だ。スペース=コストだ。そして残された人生、かつて読んだ本をもう一度ゆっくりと読み直す時間はない。そしてやがて、昔買った本は紙質は悪く字が小さく、とても読みにくいという事実に打ちのめされる。

残念なことだ。そうだ。仕方がないのだ。だから、歌を唄おう。

もう会えない、あなた。かもめはかもめ。あなたの望むリッチな部屋ははじめから持てない。青空わたる夢はあるけど・・・。ちくしょう!

そうだ。いいのだ。だから、最近は電子書籍と紙の両方があれば必ず電子版を買う。場所も取らないし、検索もできる。紙の本で『アンナ・カレーニナ』の中で何回どこで《微笑》という言葉が使われているかも一発で検索できるか。カントの『純粋理性批判』で《必然》という言葉がどこでどんな風に使われているか、不必要であってもわかる。わかるとはそういうことだ。

それに、欲しい本があれば書店に行くまでもなくその場で手に入れすぐに読むことができる。iPadでも読めるし、電車の中ならスマホでも読める。字も拡大できるから老眼にも優しく、マーカー箇所だけをあとでゆっくりみていくこともできる。横断検索もできるようになるだろう。

そしてやがては、生まれてから死ぬまでに読んだ本のリストとマーカーのすべてを年代順に並べ、それが私を表すものとなるだろう。

そうだ、墓標はKindle リーダーがいい。墓参りしに来た奴には、音声出力機能をつかってかつて読んだ本の気の利いた一説を読んで聞かせてやるよ。それが《私》が《私》だったという履歴なのだから。

迷惑? いいんだよ。バーチャルに、誰か知らない人の墓参りによると、そのひと、本が好きだった人の、過去の思いがちょっとだけ垣間見える。

でもなぁ。電子書籍の権利って本人が死んでも保持されるのだろうか。永代供養料をAmazonに支払うと、個人図書館保持の権利が購入できて、以降のメンテナンス料は、その個人図書館の入館料というのもいいかもしれない。棚ベースの書店だってあるんだ。それが墓標をかねていけない理由はない。夢が広がる。

でもきっとそれは虚しい夢だ。ちゃんと利用規約を読むと、死んだら権利がなくなることが冷たく書いてあるんじゃないかと思う。残念だなぁ。

だから、せめて本のリストとマーカー部分の抽出だけ、生涯にわたって履歴が取れるくらいで妥協するしかないのか。でもそれは著作権のフェア・ユースに該当するかなぁ。たぶん、アウトだろうなぁ。たとえ、それがデータベース的著作権に該当するかもしれなくても、たぶんダメだ。残念だなぁ。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。