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去者日以疎(去る者は日に以て疎く)

虎は死して皮を残すという。けれど、何も残せなかったり、残らなかったすることも少なくない。記憶すら過ぎ去れば消えていく。

親指シフトが終わる。

あくまでも一人のユーザーとしての個人的な意見だが、富士通が親指シフトを維持できず、また、無償で他社に公開できなかったことは、企業として失敗であり、そして、必然であったと私は思う。

本当の事情も知らずに勝手なことを無責任に推測すれば、PCを販売する事業部にとって、親指シフトキーボードを製品ラインナップの中に維持することはコストであり、売上に対する効果のメリットは少なかっただろう。

そもそも、初期の段階では、PCの事業部はワープロ専用機の事業部とは出自すら異なっていたのだ。PCの事業部にとっては、マイクロソフトやインテルとの関係上も、親指シフトに固執するのではなく、世界標準のキーボードを使えという圧力は強かったことだろう。

他方、PCをその他のシステムと一括で販売する営業部隊にとっては、親指シフトだからといって入札条件で有利になることはなく、同時にPC部分の価格は抑え込みたいファクターにしかすぎなかったことだろう。

他社も政府も、富士通という出自を持つ《彼女》に冷たかったはずだ。

そのような複数の思惑の結果、親指シフトを支持する人たちの声は、「それ美味しいの?」という意見の前で無意味に響いたことだろう。一方で、特許などを管轄する法務からは、「自社の独占的な技術仕様を他社に無償提供?ありえな~い」と言われ、自由な動きが阻害されたはずだ。

すべては事情を知らない外部の人間の推測だ。実際はもっと複雑であったり、もっと単純であったり、あるいはまったく異なっていたりするだろう。

しかし、入社以来、親指シフトを使い、マックにさえ、システムとして相性がよくなかった高い親指シフトキーボードを接続していた者は思うだ。他の方法はなかったのかと。

そして、私もまた、彼女を捨てたものの一人なのだ。米国のPCデポで、キーボードが大きなかごに無造作に突っ込まれて10ドルで販売されているのを目撃したとき、あのとき、私もまた《彼女》との別れを決意したのだ。

《彼女》への告知、すなわち《予告された訃報》に接し、誰を責めるわけでもなく、ただ、彼女にも別の人生もあったかもしれないと思う。

《彼女》は私たちに何を残したのだろう。

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