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境界はどこにあるのか

びろう(尾籠)とは、「話題が下品だったり口にしづらかったりするさま」をいう。イメージ的には「きたないこと。けがらわしいこと」に関して、世にいう紳士・淑女は「びろうな話ですが」と前置きする。

何がびろうかといえば・・・私の腹囲が1.5 mを超えたことがである。

もちろん、世の中にはいろいろな事情がある。ことさら身体のことはそうだ。それを「尾籠(びろう」と禁忌のごとく言うのは一般的には正しくない。しかし、いま話題にしているのは、私の腹だ。そしてその私の腹を、他人はいわずもがなだが、自分だって見つめたくない。認識したくもない。

見たくない、見つめたくない、認識したくない、話したくない、汚らわしい。。。残念ながら私の腹囲の状況はいまそういう状況である。すなわちそれは尾籠の境界の内にある。

腹囲が1.5 mを超えたことで最初に悩むのはその表記である。cm表記にすべきだろうか、それともm表記にすべきだろうか。ここではあえてm表記を採用した。しかしcm表記とm表記の境界はどこにあるのだろうか。

漢字も気になる。"超える"は「数量・度合いなどが基準以上になる」ことを意味し、"越える"は「向こう側へいく」だから、数値の表記としてはおそらく「超える」が正しいはずだが、主観的には、何か、ある限界のさらにそのまた向こう側へ自分が行ってしまったような「越えた感」がある。

数値的な観点からいえば、世間では、腹囲の正常範囲は男性で85cm未満とされている。それを超えると(境界だから越える?)メタボリックのリスクが増えるということで会社の健康診断でも注意される。会社が私の健康を気にしてくれているわけではない。「リスクがあるから、健康保険費がかかるけん、困るんよ~」ということだ。

数値的に85 cmの次に来る臨界点は100 cmだろうか。だいぶ前のことだが、ボーイスカウトの指導者の制服用ベルトを以前買おうとしたら、サイズM(~100cmまで)しか店にはなかった。不思議なことに1 mとは表記されない。私見だが、100 cm~120 cmあたりまでは cmの世界だ。

調べてはいないが、おそらく世のベルトの多くが100 cmを基準に考えているはずだ。もっと長いものもあるとは思うが、私が経営者ならば、「100 cmで良いよ。それが多数派で十分な長さだよ」と冷たい判断をする。愛は無限ではない。

そういえば、かなり以前に大阪の東洋陶磁美術館で唐代胡人俑展を見た。俑とは中国で死者といっしょに埋葬した人形だという。私がみた唐代胡人俑のそれぞれは造形がユニークで私の想像を越えていた。埋葬の人形に関する私の想像力の境界は埴輪のはに丸くんみたいなものの内にあったのだろう。

唐代胡人俑には、なんだか妙に太っているおじさんがいた。あるいは、目つきと口元がリアルというよりもユニークな馬だかラクダだかもいた。

この唐代の人形のおじさんの腹囲は100 cm ~120 cmというところか。 メータ表記とするにはもう一息だ。馬だかラクダだかの叫び、Cryingと表記すべきかScreamingと表記すべきか。それは私の嘆きに通じる。

1.5 m。境界を越えた叫び。とても微妙に残念な気持ちだ。

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