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トークイベント『〈公正〉・(読んだふり)・連帯』を視聴する

積読ならぬ積視聴となっていた動画を視聴した。左側に映っている朱さんに関係する本と、右側に映っている三宅さんの本を最近読み終え、いずれも面白かったからだ。三宅さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで、「だよね」と思ったというのもあるし、それは本に限らず動画もだよねと思ったからだ。

動画の中で二人の会話が噛み合っていたかどうかは私にはよくわからない。二人とも「それ面白いですね」という言葉を最初に言ってから、結構、自分の言いたいことを言っている気もしたからだ。

でも、大丈夫。先週、読んだ『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』も結構そんな感じだったので、耐性はできていた。『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』の著者3人の言う《ネガティヴ・ケイパビリティ》は私が思う《ネガティヴ・ケイパビリティ》とは少し違うけれど、でも、『公正(フェアネス)〉を乗りこなす』の技法《分離》を用いると、こういうタイプの会話のやりとり(矛盾)にも耐えられるようになる。

いずれにせよ、二人の会話は結論からいうと面白いものだった。それは私の中にいくつかの問いを残してくれた。

何かのコンテンツから受け取る《問い》は人それぞれだと思うけれども、今回の動画については、私の場合は雑に書くと下記のようなものだった。

1. バザールとクラブの比喩でいうと文学はクラブなのだろうか
2. 構文的議論にはどのような価値があるのだろうか
3. スタイルこそが人であり、内面は不要というローティの主張を私はどう受け止めるか
4. 自分なりのスタイル(自分の文体)はこれから喪失していくのか
5. 個人の言葉つかいは消え、人は言葉に乗っ取られることを私はどう捉えるのか

連休もあるし、他の本も読みながら、ゆっくり考えてみたいと思う。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。