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白と黒と灰色と

誰の心にだっていろいろな自分がいる。白か黒かと聞かれれば灰色でありたい。

以前、といってもだいぶ前のことだが、『あなたの腹黒度を測ります』という遊びが流行った。いまでもそのサイトがあるかと思って見に行ったら、いまでも生きていた。

そのときの結果は、わたしは数ある腹黒タイプの中でも『スマート』に腹黒さを楽しむタイプだそうで、ジョークを好み、妖しい雰囲気で人を惑わせ、洗練された退却をすることに美意識を感じやすいのが特徴とのこと。

魂の黒さ  74%
心の黒さ  39%
ルックスの黒さ  100%
尻尾の白さ  52%

もっとも、さっきやってみたら、もう少し白くにも、あるいは、もう少し黒くにもなった。

【白組】

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【黒組】

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そう。白か黒かの二項対立はわかりやすいが、そんなに単純ではないことは誰だって知っている。

喧伝されている「米国人は白黒をはっきり言うが、日本人は白黒をはっきり言わない」も、本当にそうなのかと思うときがある。確かに日本人は言葉のうえでは白黒をはっきり言わないが、心の中では案外と白黒の結論を決めていてそれを変えることがないのではないか。米国人は確かに一般に白黒を最初にはっきりというが、心の中では案外とさまざまオプションを考えていて、最初の白黒の提示は出発点に過ぎないのではないか。そんな風に思う。

さらにいえば、白か黒かの二項対立ではなく、灰色は第3項なのかもしれないと思う。一般に、2つの要素の運動よりも、3つの要素があった方が、運動は複雑になる。だから、灰色を白と黒の中間ではなく、白でも黒でもない第三項と考えてみるのだ。正しいことと正しくないことではなく、どちらでもないという第三項。

子どもの頃の教科書に載っていた「ごんぎつね」が子ども心に複雑さを感じるのは誰の心の中にもあるグレーな状態が描かれていたからではないか。

白でも黒でもない状態を白と黒の中間に置くのではないありよう。複雑さとはそうやって生まれるのかもしれない。

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