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ドント・ルック・アップ

いわゆる「ディザスター小説」というジャンルが嫌いじゃない。「きっとB級だよなぁ~」と思いつつ、ロサンゼルスで溶岩が噴き出てしまう『ボルケーノ』とかも観てしまう。そして結構、好きだったりする。

地球温暖化によって突然訪れた氷河期的になってしまう『デイ・アフター・トゥモロー』なんて何度も観てしまった。起こることもわかっているし、結果もわかっているのに楽しく観ることができる。ホラーやサスペンスのドキドキが苦手な反動かもしれない。

もちろん、彗星が降ってくるタイプもサブ・カテゴリーとして外せない。『アルマゲドン』とか「いやぁ~、ないわ~」と思いながらもこれも何度も観てしまう。彗星が降ってくる話はゴジラ映画と同じだと思う。天災の移動コースがわかっていて、それに対して、「ぶつかる、ぶつかる、ぶつかる~、やっぱりぶつかったぁ~」とか、「うぇー-い、迎撃だぁ~! うわ、失敗しそう。でも大丈夫だぁ~!」とか、水戸黄門的なわかりやすさがあるわけ。ある意味、SF的なディテールの仕掛けよりもシチュエーションとして、「そのときどうなる」「そのときどうする」が作者・監督の腕の見せ所と言える。

その意味で『ドント・ルック・アップ』はとても良かった。世界第3位の大金持ちで、オーリアン大統領の超大口スポンサーの妖しいヌメヌメした感じとか、 メリル・ストリープ演じる合衆国大統領の「メリル・ストリープさん、もっと仕事選んで!」と言いたくなる怪演とか、ジェニファー・ローレンスが演じる地球に接近する彗星を最初に発見した大学院生とディカプリオが演じるミシガン州立大の天文学教授の、「天才科学者」というわけでもなく「ヒーロー・ヒロインでもあるような無いような」中途半端な感じとか、まじ、いい感じ。

DUNEで主役をしたユール役のティモシー・シャラメも無茶苦茶、中途半端だし、テレビの二人のキャスターにせよ、脇を固める人たちも、みんなダメ。人類が滅亡しようっていうのに、みんなダメ。そこにとてもリアリティがある。

そして唯一、中途半端でないのがタイトルの「ドント・ルック・アップ」というメッセージだ。だって、どう考えても状況的にはアウトな訳。人類はこの先、たとえわずかに生き残る人々がいたとしても、生存し続けることさえ極めて厳しい状況であり、もしかしたらの1,500 m級の津波もおきるかもしれない。大規模気候変動だって起きるだろう。いいことがあるはずがない。

だから人々は唱える。「ドント・ルック・アップ」と。「こういうのって思考停止だよね」っていう台詞自体が思考停止と言えるほどの強烈なメッセージだ。人は本当にダメな事柄に直面すると「ドント・ルック・アップ」に類する言葉を唱えたくなる。その視点は皮肉であると同時に究極の人類愛にも思える。

僕らは僕らが信じたいと思っている以上に、バカで弱い。この映画はそれを皮肉ではなく、ある種の事実として描いていると私は思う。

もし、そのときがきたらどうしよう? 私だったら、もちろん一番痛くない方法で、お先に失礼したい。ちなみに主人公のディカプリオが選んだ方法は・・・あれは意外と痛いから、私はきっと選ばない。

ちなみに、彗星が地球にぶつかるジャンルで私が一番好きなのは、ラリイ・ニーヴンとジェリイ・パーネルが共同執筆した『悪魔のハンマー』。『ドント・ルック・アップ』とはまた異なる真っ向唐竹割りの人類愛に溢れているような気がする。「1,500 mの津波? それってスーパー・ビッグ・ウェーヴだよな」っていうノリとか。

断捨離で売ってしまったのをずっと後悔していたので、中古で再購入してしまった。

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