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偶然出会えたら

Clubhouseでもなんでも、長い自己紹介を話す人がいる。プロフィールで十分なのに。あるいは他の人とのやりとりとして少しずつ話せばよいのに。長い自己紹介ではなく、そこまでの話のどこを面白いと思い、何を付け加えたいかを短く伝えることから始めればよいのに。

Clubhouseでモデレーターになった人は、一定のタイミングで「この場はどんな人がなんの話をしているか」という背景を話すとよいのに。ラジオの野球の実況中継でアナウンサーが一定のタイミングで「いま試合はどこまで進んでいて得点はどうなっているのか」を伝えるように。

Textベースのチャットによる非同期対面型のやりとりで、絵文字などの言葉を補完するプロトコルが発生したように、音声によるコミュニケーションでも媒体の違いによる独自のプロトコルが必要となる。そこを意識しているかどうかは大切な点かもしれない。

オンラインでの会話は国語に似ている。中学生の頃に私は「なぜ国語の授業は必要なのだろう。みんな日本語を使えているのに」と思っていた。大学生になり塾で国語を教えてみて間違いに気づいた。日本語を話せることと日本語を的確に理解し運用することは大きく違い、個人差も大きいのだと。

オンラインでの音声によるコミュニケーションの個人差をあらわにする。しかし、それは才能の問題ではない。言葉を音で運用する能力であり、一定レベルであれば練習で十分に達成可能なものなのだと思う。ただ、私たちはその練習を意識的にしてこなかったというだけのことだと。

Clubhouseで一人でRoomを立ち上げていると誰かしらがふらりと訪ねてくることがある。Clubhouseをラジオのように聞くのも楽しいが、知り合いや知り合いの知り合いと偶然のようにあって話をするのもいい。

Clubhouseで自分だけしかいないRoomを立ち上げるのはちょっとだけ勇気がいる。なんだか話し相手を待っているような寂しいぼっちに見えないだろかと世間が気になるから。本当は世間はそこまで自分のことなんて気にしていないのに。

そういうときはRoomの名前を「偶然出会えたら」にしよう。「雑談」という名前はちょっと入りにくいし、「偶然」という言い訳を待つ側も入る側もできるから。

同じ名前の「偶然出会えたら」というRoomが10個も20個も100個も千個も立ち上がったらちょっと楽しいかもしれない。そんな風なRoomが溢れていたら、「世界は自分を待っていてくれる」という気がちょっとするかもしれないから。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。