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追悼:石原慎太郎


 石原慎太郎が亡くなった。第一報が流れてから、しばし私は何も言わず、しばらく各種報道、SNS での扱い、コメントなどを静観していた。予想通り、氏の功罪を両論併記した似非中立に逃げ込んだ、これまでも彼を見逃し続けてきた手合いが、いつもの記事でお茶を濁していた。
 それをベースに「死んだ人の悪口を言うな!」というナイーブな一般道徳反応が溢れ、それに対して「それとこれとは別だ!」と、これまた言わずもがながあり、毀誉褒貶それぞれ、実に故人を象徴するように、軽い、まもなく消費されていくだろう言葉の破片が虚空を舞っている。

 一通りのお約束週間が終わったところで、私が言いたいことは、彼の生前において持っていたものと少しも変わらない。つまり、石原慎太郎という人物を論評の対象「そのもの」とすることには、ほとんど興味もなく、意味もないということだ。僭越ながら、石原莞爾が東條英機との関係を問われて、「思想のない東條と思想的対立などあるはずがない」と言ったことに近い。

 私たちが論評し、振り返るべきものとは、彼自身ではなく、彼の立ち振る舞い、言葉を、近くで、そして遠くで、見聞きしながら、それに対して「その時々に」言うべきであり、問うべきであった責任を負った者たちが、実際には言わなかった、あるいは杜撰で表層的な物言いに終始したこと、何かを忖度して、言葉をもって生きる者として、きちんと問わなかったという事実だ。
 だから、彼に長年向かい合っていたはずの物書き、政治家たち、すなわち言葉を生業にしてきた者たちの振る舞いこそが、あらためて批評されねばならない。

 それに対する評価は、多くの者たちが「言葉をいい加減に扱った」ということに尽きる。そしてそれは万死に値するものだ。

 石原慎太郎が、数々の妄言、差別発言、暴言を放った理由については、さほど複雑な事情はない。というよりもむしろ、複雑な事情など、こちらも勝手に文学的表現でお返しして差し上げれば良いのであって、そういう文学的な誤解をする自由が、作家という人間と付き合った者には許される。

 己の内面的権力イメージの源泉であった、早世した父親の影に怯え、その恐怖を振り払い、封じ込めるように、自身も父権性を体現せんと振る舞い、その役割を苦しく生きた。価値観の基盤が動揺しつつあった戦後の欲望放縦社会に躍り出て、人々が驚き、呆れ、誤解をして褒めちぎり、新時代の旗手だと言われるように、パラドクス・モンガー(時節や凡庸なる常識の逆張りをする小心者)を必死にやり続けてきた。石原慎太郎は、そんな不憫な長男だったにすぎない。
 そして、この不憫さをなお増幅させるものの中には、次男として父の影などかけらも頓着する事なく、ひたすら放蕩の限りを尽くし、兄の惚れた女性を次々に分捕っていく弟への愛憎と、焼けつくような嫉妬が含まれる。心より同情する。私なら、弟を陥(おとしい)れんとあらゆる謀略の努力を重ねただろう。

 この想像力は、言うまでもなく真実であるかどうかとは無関係だ。文学者が亡くなったのだ。文学的な誤解こそ、霊前に捧げるべきものだ。そして、何度も言うように、それ以上石原慎太郎「そのもの」について語る必要はない。三島由紀夫が端的に述べた「君は軽い」で終わりだ。政治家としての評価も、橋本治が喝破した「石原慎太郎は観念的政治家」という言葉に付け加えるものは何もない。

 さて問題は、そばにいて、石原に対して言うべきことを言わなかった、あるいは石原の言語的軽薄さに巻き込まれて、政治の言葉に体重をかけない範型を普及させ、それを強めることに手を貸したジャーナリスト、政治家たちのおとしまえである。それはまだ済んでいないではないか。

 石原の副知事だった猪瀬直樹は、「石原さんはクリエーターだった」と言った。笑止千万である。しかし、猪瀬は『昭和十六年夏の敗戦』という稀有なる、唯一の優秀作品を書いたから、私は免罪する。人を見る目が全くないのが猪瀬の美徳であるからだ。

 都知事時代に繰り返された差別的暴言に対して、「放置せず、きちんと抗議せよ」と迫った私に、「関係が悪くなると取材しづらくなるし、ネタ取れなくなるんですよ」と返した某大新聞記者たちよ。滅びよ。腐り切った都庁記者クラブと一緒に。

 石原はついに憲法改正を主張する論拠を、「アメリカ(父権的なるもの)に押し付けられたからだ」以外に、生涯示すこともできなかった。東京五輪の招致の根拠も「日本はまだまだ強いのだということを誇示するため」という絶望的な父権性の反転ロジックしか示せなかった。
 こんな体たらくぶりに、正面から「要するに、お前が考える国家像とは一体何なのか?」と、毅然として追いかけることもできなかった自称保守派よ。国士として、そんな基本的な問いも向けず、言質も取れなかったことを猛省し、筆を折るべきだ。そうでなければ、食うための左翼批判などけし粒ほどの意味もない。

 時代をしゃぶりつくしたパラドクス・モンガーの人生に翻弄された、親を選ぶことができなかった四人の息子たちを家の前に並ばせ、一人ずつ父親の死についての感想を述べさせたテレビ局よ。すでに無駄な電力を使い、原発再稼働の根拠に利用されているだけでも罪深いが、何度でも滅びよ。いや、消滅せよ。

 我が母親と同じ昭和7年生まれだった石原慎太郎さん。
 もうあなたを脅かすものはない。

 安らかにお眠りください。

 寂しがり屋のあなたに、きちんと向かい合わなかった、今も生きている不届者たちと、もう少し議論を続けますから。


<石原慎太郎が残した言葉の数々> 


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