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想いと聡明さ

言論の自由を制限された時代に書かれた文章には、想いと聡明さがある。

日中戦争から太平洋戦争と、日本が、世界が、狂った方向へ進んでいった。何が正しく、何が間違いなのか。個人の考えなど表に出せない時代。しかし、どんな時代だろうと、子どもたちには伝えるべきことがある。そうして生まれた作品が『君たちはどう生きるか』。

主人公であるコペル君(15歳)の成長を描くとともに、叔父がコペル君へ伝えるべきことを「おじさんのノート」として書き綴る。ふとしたときに感じたこと。自分とは異なる他人の生活のこと。友人を裏切ってしまったこと。さまざまな出来事を通して、自分なりに考え、答えを出していくコペル君。そんな姿に胸を打たれる。

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この時代の人々の作品は心を揺さぶる。言葉の一つひとつから、「目を背けるな」と言われているような感覚。なぜそのような感覚にあるのか。ストーリーに共感を覚えるから? 文章の表現技法が卓越しているから? 違う。そんな作品はほかにいくらだってある。何がそのようにさせるのか。彼らの文章には、ほかと大きく異なるものがある。

それは、桁外れな想いと聡明さだ。

子どもたちにどうしても伝えたい、託したい。自分たちと同じ道を歩ませたくない。その想いを、小説の登場人物に代弁させたり、詩にのせたりする。時勢に負けない強い想いは、文章に表れ、心に訴えかけてくる。「怒り」のような想いは、書き手自身の聡明さがあってこそ生まれる。

自分の考えと目の前の現実との違いに違和感を覚える。おかしいことをおかしいと感じる。それらは聡明さがなければ気づくことはできない。聡明さが気づきを生み、気づきが想いを生む。からっぽな人の文章に想いなんてない。いくら気持ちを込めたって、空っぽであることは変わらない。しかし、時代に抗った彼らの訴えには、想いと聡明さがある。

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同じ本でも、読み手によって感じ方は異なる。感じる人もいれば、感じない人もいる。そこに優劣などはない。あたりまえなこと。だけど、何かを感じたとき、目を背けずに向き合ってほしい。彼らの文章から。時代に抗った想いを受け取ってほしい。彼の言葉から。それは現代を生きる私たちには、消えつつあるものだから。


2020/07/20


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