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これが『エモ』ってやつか

息子は予定日よりちょうど1ヶ月早く、臨月になる4時間前に産声をあげた。

病院の決まりで、妊娠36週より早い出産、または出生時の体重が2,500g未満の場合は、小児科にあるGCUへ入院することとなる。

息子はそのどちらの条件も満たしていたため、分娩台に乗るころには別室に小児科医と小児科の看護師がスタンバイしていた。

出産直後には、助産師から「一応決まりだから、今夜は小児科に入院するけど、退院までには産科に戻ってこられるかも。そしたら母子同室になりますよ」と言われていた。

息子は2,400gは超えていたし、元気に泣いていたので、私自身も「明日には一緒にいられるようになるのかな」と軽く考えていた。

ところが、予想外に息子は激しい哺乳瓶拒否を発動した。生後1日でイヤイヤ期ってあるんだなぁとぼんやりとミルクを前に泣く息子を眺めていた。

残念ながら私は母乳の出が悪く、追加でミルクを飲ませないといけなかったのに、わずか10ミリ飲むのに1時間かかり、それも飲み切れていない状態。

当然、退院はどんどん延び、息子はGCUの主の様相を呈していた。

そして私は産科を退院後、毎日母乳を運びに病院へ通った。


入院してもうすぐ2週間経つというある日、いつものように息子に授乳をしながら、ふと窓の向こうに目をやった。(病院は高台にあり、目線より上に窓があるので丸見え授乳ではありません!)


その日はスッキリと晴れていて、涼しくなり始めた初秋の、柔らかい西日が病室に差し込んでいた。少し開いた窓から優しい風が吹き、カーテンを揺らす。小児科ではGCUだけ、常にオルゴールのCDが流れていた。
遠くからかすかに聞こえる電子機器のエラー音、ナースシューズのパタパタという足音、他人の気配はあれど、誰にも邪魔をされない、私と息子だけの時間。その全てが優しくて愛おしかった。

出ているのかいないのかよくわからない母乳を飲む息子を抱き、いろいろな感情が押し寄せた私は目を閉じて天を仰いだ。

とっ、尊ーーーーーー!!!尊いーーーーーー!!!ていうかエモ〜〜〜〜これが『エモい』って言うんでしょーーー!!!いま世界で一番エモさを体感してるわ私ーーー!!!最近はもうエモいって言わないんか?初めて使ったのにーーー!!!

胸がギュッとなるほど苦しくて、エモさに窒息しそうで耐えられなかった。
こんなに “空間丸ごと愛おしい” と思うことがあるのかというくらいに、目に見えない何かを息子ごと抱きしめたかった。

偶然にも息子はその日の夜に突然、覚醒したように5分で30ミリのミルクを完飲した。これにはベテラン看護師さんも驚き、「ちょうど今、新生児の発育についてまとめているので、出生後から覚醒までの経緯を論文に事例として採用したい」と相談された。(もちろん、許可しました)

そして満を辞して無事退院。退院時には一番お世話をしてくれた看護師さんが、プライベートでメッセージカードを書いて下さいました。
その後は怒涛の新生児育児が始まる。夕焼けの中、授乳する事だって日々あったのだけど、あの時GCUで感じた何とも言えない胸が苦しくなる感情に襲われることはなかった。

今思えば、何かあっても看護師さんがいてくれる、という安心感があるからこそ生まれた心の余裕のおかげで得ることができた感情ではないかと思う。

あのワンシーンは必ず、自分が死ぬときの走馬灯に入れて欲しい。「入れて欲しい」って誰に頼んでんの?って感じだけど。

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