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100人いたら100通りの子育て         №.20 荒木しう子さん

 北海道の十勝地方の三月下旬、雪解けが進み、畑の黒々とした土が現れ、福寿草や蕗の薹がちらほら目に留まるようになりました。日高山脈の残雪と黒土の畑のコンストラストが美しく、シベリアへ渡る直前の白鳥が畑の中で羽を休める姿も十勝ならではの春の風景です。

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今回、取材をさせて頂いたのは荒木しう子さんです。まだお子さんが小さい頃に長野県の山奥で自給自足の暮らしをしていたことを以前お聞きし、ぜひ詳しく聞かせて頂きたいと取材をお願いしました。

この企画は帯広を中心に足寄町、横浜市で活動をする「おかあさんのがっこう」の魅力プロジェクトと題して、100人のお母さんに子育てについて取材させて頂いているものです。おかあさんのがっこうの詳しい活動内容につきましては以下をご覧ください。



しう子さんのご出身は山形県、大学を卒業後は東京で暮らし、人生に影響を与える人々との出逢いがありました。マクロビオティックをきっかけに「食養」を知り、当時発行されていたマクロビオティックのあらゆる本を読み食養の実践をしてきました。


時代は高度経済成長真っ只中、お金優先ではなく、自然といのちを壊さない生き方を求めて「ミルキーウエイ・キャラバン」に参加、延べ数百人のなかまたちと沖縄から知床半島まで縦断しました。
その後、長野県の山の中の一軒家で電気・ガス・水道なしの暮らしを八年半、その中で二人の息子さんを育てました。
その時の生活の様子がどんな生活だったのかとても興味深く、色々と質問しました。

電気がないので洗濯は洗濯板で手洗い、夜はランプで過ごす。薪を炊いて煮炊きをしたこと、水は沢から汲み上げだったそうです。
その当時の暮らしを一言で言えば「生きていただけ」と笑います。長野の暮らしはしう子さんにとって、ひとつの原点だそうです。消費ばかりをしてきた暮らしから、自ら生み出し、育む生活へのシフト。生むことも、育むことも今までしてこなかった事に衝撃を受けたといいます。山の中での生活は近くの年配の方々に教わって麹をおこして味噌や醤油を作ったり、雑穀を育てたりと、自らの手で生み出し育もうという生活でした。ままごと程度でしたけれどと話されるしう子さんですが、想像をはるかに超えるご経験をされていると感じました。


最初の子育てが長野の山の中で始まり、子育てをしている他の家族が近所にはいなくて、勝手が分からず七転八倒だったといいます。「子育てとそれにご飯を頂くことは社会的なものである」と実感されたそうです。

長男さんを母乳で育てたいと思い母乳育児を実践していましたが、母乳が足りていず栄養失調状態になり命の危険な状態になった時には、病院の先生にはもちろん、寝ずに祈って下さった方がおり、助けて頂いたといいます。


自身の経験から、「妊娠中は絶対に冷やしてはいけない!!!」と話してくださいました。
妊娠中、火照った身体を川の流水で冷やしていたことで、産後も冷えと神経の昂りで母乳に影響を与えていたことから、経験者として、これはぜったいに大切な事と話してくださいました。

長男さんが粉ミルクアレルギーで顔が赤く腫れあがり、周囲からは可愛いと言われず、可哀そうと言われた時期がありました。マクロビオティックの先生に相談したところ、粉ミルクの代わりに玄米ミルクで育つと教わり、10カ月でお肌がつるつるになったそうです。毎日すり鉢で玄米をすって沸かして飲ませて、母乳を出せない分の愛情を注がねばとテンパっていたそうです。

次男さんが赤ちゃんの時には、食べてはいけないと分かってはいるけど止められなくて、アトピーが酷い時期があり、アトピーの原因になるような食べ物を一切排除して食事に気を付けて3カ月で良くなった経験を教えて下さいました。

長男さんはとても素直なお子さんだったそうで、しう子さんは理想の子育てをすべく厳しくしつけをしたと言います。保育園に行く前には必ず雑巾がけをさせるというスパルタぶりでしたが、素直な長男さんまでは上手くいったものの、次男さんの時には「どうせ言うことをきかない」からと早くに方向転換し、ほぼほったらかしになったそうです。


しう子さんが子育てで経験した中で、これは絶対、今子育てをしている人にお勧めしたいと語ったのが、「おんぶ」です。ずっとおんぶをして家事や仕事をしてきて、「おんぶ」がスキンシップであることはもちろん、子どもの視野が広くなり脳の発育にも良いことや、何よりも何かあった時にとっさに逃げる事が出来る事など、「おんぶ復活連盟」をつくりたいと思うほどですと話してくださいました。



しう子さんの子育てでは「食べ物に気を付けること」を何よりも大切にしてきました。医者にはほとんどかからずに、体調不良になれば、東条百合子さんのお手当てや桜沢如一さんのやり方で家庭でお手当てをし、健康に育ったそうです。「はしかにはかからせました。『はしかはおなかにいた時の胎毒の排泄である』とマクロビオティックの先生に教わっていたからです。今のお母さん方には安易におすすめできませんけど」


「自分ははちゃめちゃな子育てだったけれども、子どもは親が一番伝えたいけれど、言葉にならないことをちゃんと感じて成長する。だから、完璧を期さなくてもよいとおもうし、そもそもそれは無理(笑)」といいます。


「生きることは子育に尽きる。なるべく健やかに育てて、いのちを次の世代につなぐこと」と話してくださいました。

食べ物に気を付けてきたしう子さんだからこそ、今現在の子ども達を取り巻く環境を心配されていました。

高度経済成長以前に山形の美しい自然の中で育ったしう子さん。山形の原風景を心に刻み大切にしながら、経済優先の社会とは真逆の命や自然を大切にする暮らしを追い求め、実践しながら子育てをしてきました。そこで得た経験は今、子育てをしている私たちに大切な事を教えて下さっています。何を大切にするかはそれぞれの子育てで違いはありますが、命を育み、育て、最後には分かち合うことは全ての人に共通するテーマになると思います。

現在74歳のしう子さんですが、自分史講座を始められて、本当にエネルギッシュに活動されています。
そんなしう子さんから、エネルギーを分けてもらったような取材でした。

しう子さん、貴重なお話を大変ありがとうございました。

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※写真は樽見真樹子さん撮影


荒木しう子さん プロフィール

山形県出身 山形大学文理学部文学科卒業 社会科教師免許取得 
マクロビオティックを通じて食養に出会い人生が変わる。
1977~1985年長野県の山の中の一軒家で電気・ガス・水道なしの暮らしで二人の息子を育てる。 1985年十勝に移住。1986年~2004年八百屋はるにれを立ち上げ無農薬の野菜の引き売りをする。現在『私だけの一冊の本をつくろう!しうこばーばの自分史講座』を開講中。43歳長男、37歳次男の2人のお子さんを持つお母さん。


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