100人いたら100通りの子育て取材 №.7岡田 五十鈴さん
今回取材させて頂いたのは双子の姉妹を子育て中の岡田五十鈴さんです。
一人ですら何かと大変な子育てを一度に二人を育てる双子育児はどんな育児であるのか?そんな興味もあり、双子を育てている五十鈴さんのお話を聴いてみたいと思いました。
100人いたら100通りの子育て取材は帯広おかあさんのがっこう、学校祭魅力プロジェクトとして取り組んでいる企画です。おかあさんのがっこうの詳しい活動については以下をご覧ください。
双子を妊娠しながら妊娠7カ月までバリバリ厨房のお仕事をされていたという五十鈴さん。重たい鍋も持って働いていたくらい順調な妊娠期間だったそうです。双子の妊娠は管理入院になる確率は高いと言われたそうですが、臨月までトラブルなく過ごされたそうです。
普通分娩を希望していましたが、二人とも頭位になれば普通分娩ができたそうですが、お腹の中で二人が互い違いになっていて、鍼灸など色々調べて対応しましたが、帝王切開で出産しました。互い違いになっていたことで胎児の居心地がよくここまでトラブルなく来られたのだよと主治医に言われ、次も妊婦さんで大丈夫と太鼓判を押されたそうです。
産後は術後の痛みがあり身体を起こすのも大変だったと話してくださいました。身体が少し動かせるようになってから、同室での赤ちゃんのお世話が始まり、いきなり二人の赤ちゃんを迎えて、おっぱいをあげても、どうやっても泣き止まなかったり、麻酔の影響からか身体を起こすと頭痛や首の痛みでおっぱいもあげれなく、何が原因か分からずに心配と不安で本当に困ってしまったといいます。
担当の助産師さんが勤務日ではなく、別な看護師さんには相談しずらかったこともあり、担当の助産師さんが出勤してきた時に思わずぽろぽろ泣いてしまったといいます。
その時の助産師さんに双子同時におっぱいをあげる授乳の仕方を教わり、首のこわばりに対しては出産前からお世話になっていた足もみの先生を病院に迎え入れてくれ、施術を受けて、首のこわばりがすうっと抜けた経験を話してくれました。
首に負担がかからないように、寝たまま洗髪をしてくれた看護師さんや、反対に冷たい態度の看護師さんもいたそうですが、その時一番辛いことに寄り添ってくれる人はとても重要だなあと思ったそうです。
そうして、双子の子育てがスタート、ご夫婦共に実家は道外でしたが、生活の基盤を作るのは私たち夫婦でしか出来ないのだからと夫婦で協力して子育てをスタートさせました。
産後は五十鈴さんのお母様が手伝いに来たものの、長らく生活を共にしていない母との生活感覚に違いを感じたり、母乳で十分足りているところに、母の時の経験で母乳が足りていないのではとミルクを足したがったりと、意見が食い違ったそうです。お母様が帰ってからはご主人と二人での子育てが始まりました。
生後三か月位の時に二人を連れてアロマを学び直そうと教室に行っていたそうです。学んでいる間も静かに寝ててくれて勉強できた時もあったそうですが、ある時の授業でなかなか寝てくれず、先生と二人で抱っこしながら講義を受け、内容が頭に入らなかったことを機に、月に1~2度の講義のときだけ託児を利用するようにしたそうです。「用事のある時以外は罪悪感があって預けれなかったんです」と話されました。
その後はだんだんと寝なくなって、おんぶと抱っこで寝かせても、片方が寝ても、もう一人が起きてしまうという状態だったそうです。
バウンサーなど色々試してみても効果がなかったので、最終手段は二人を抱っことおんぶをしてマンションの三階から下の駐車場まで行って、車に乗せてドライブして寝かせるということをしていたそうです。
「車の中で寝かせて、どこかに停まってご飯を車の中で食べて、通信で学んでいたものを車の中で勉強して、起きたらまたドライブして、三時頃に帰宅するってしていたんです」と当時の様子を話してくださいました。
でも、その頃から夕方になると夕泣きが酷くなり、その頃が一番しんどかったといいます。
そんな時期をどう乗り切っていたのでしょうか。
ご主人は仕事よりも家庭が優先、何かあったら言えといってくれてたそうですが、帰ってくるまでの数時間を一人で対応するのはとても大変だったそうです。
ご主人のサポートや協力を有難いと思う反面、自由に行きたいところにどこでも行けていいよねと思ったり、子どもの寝かしつけをしてくれるけど、泣いても気付かないご主人にイラっとすることがあったよとお話してくれました。
一歳になるころ、仕事に復帰され、時短勤務での働き方で仕事は早く終わるものの子どもの夕泣きの経験が思い出され、子ども達と家で過ごすのが怖く、ぎりぎりまで保育園に預けていたと言います。
五十鈴さんが土日出勤の時、ご主人が一人で子ども達と一日遊んで過ごすのをみて、何でこの人は子ども達と楽しくいられるんだろうと信じられなかったと話してくれました。
ご主人には歳の離れた弟さんがいて、子どもの頃にオムツを替えた経験もあったのか、すんなりと子育てに参加していたと言います。
「私がしなきゃいけないという変な想いに囚われていたかもしれません。自分の母が私が子どもの頃に引っ込み思案で悩んでいたのを後から知って、母親だからどうにかしなきゃいけないって刷り込まれていたのかもしれない」と当時の心情を話してくださいました。
母としての責任感、母なのだからこうあるべきと自分自身に課すことは私にもあったなと共感しました。
今では子ども達と楽しく過ごしている五十鈴さんですが、どんな風に変化していったのか伺いました。
子どもが三歳を過ぎると、コミュニケーションもとれるようになり、その頃からだいぶん楽になったといいます。4歳の時にご主人が仕事の都合で単身で他の町に住居を構えることになり、始めは出来るかと心配だったそうです。
「始まってみると、女三人の世界は楽しくって、今まではしっかりしなきゃいけないとか、出来なかったら人に責められるかもって思っていたけれど、子どもと自分だけだとだらしなくても良くて(笑)。やりたい放題に出来るようになって本当に楽しくなりました」と話してくださいました。けしてご主人が責めるわけでもないのに、責められるかもと自分で思っていたと言います。
今では小学生になった双子姉妹はお友達と遊びにでかけ、さみしさも感じるそうですが、少しづつ行動範囲を広げていく様子を心配しつつも、子どものことを信じて待っているそうです。常に一緒に姉妹で行動していることで安心感もあるそうです。
子ども達は引っ込み思案なところがあるそうですが、それをあまり心配するのではなく、五十鈴さん自身の経験からも、成長していく過程で変化していくものとおおらかに捉えて見ていると話してくださいました。
自然療法を子育てに活かしている五十鈴さんですが、ご自身やご主人がアレルギーを持っていたこともあり、子どもに発症させないようにと色々勉強され、多様な選択肢を学んでいたことで、対処の仕方は一つだけではなく、その時の子どもの様子に合わせた対応が出来て病院に行かずに済むことが多々あったと言います。
自然療法を行ったり、予防接種を子どもに打たない選択をする自然育児は少数派で、医療者や保育士には理解を示す人が少ないために、最初から理解してもらえないのではと考えてしまいます。五十鈴さんもそのような経験があったそうで、保育園の先生と最初は距離があったといいます。
「私が一人でどうにかしなくちゃいけないという想いが強くて、牛乳を常飲させないことを、きっと言ってもわかってくれないだろうと思い心を開いて話せていなかったのが、保育園の先生が子ども達のことを一生懸命に考えて接してくれていることを保育園の6年間見てきて、だんだん先生達と色々話せるようになったんです」と話してくれました。
小学校に上がってからは担任の先生に牛乳を常飲させない理由などをすぐに話して相談できたそうです。「子どものために一生懸命考えてくれる先生を見てきて、一人で頑張らなくてもいいんだって分かりました」と話してくれました。子どもの成長を一緒に喜んでくれる保育士さんや、先生の存在は保護者にとって本当に安心と信頼感を与えてくれるものだと思います。
双子の子育ては大変だよねと言われることが多かったそうですが、三歳になれば楽になるよと言ってくれる人もいたり、幸せが2倍以上だねと言ってくれる人もいたり、大変だけど本当に素晴らしいよねと声をかけてくれる人もいて、ちょっとしたニュアンスの違いで、言葉がけ一つでも全く受け取る方は気持ちが違ったそうです。
「授かりたくても双子を授かれるわけではないし、本当に素晴らしいことだし、今では双子で良かったと思います」と話されました。
それを聴いて感じたのは、子どもが小さくて大変そうという気持ちで声をかけてくださる方の一言はその時のお母さんの心に寄り添ったものでありたいということ。また、子育て中のお母さんにエールを贈る一声を贈りたいとも思いました。
同じDNAでも性格も体質も違い、育てながら本や論文とはかけ離れた発見や経験があったと言います。だからこそ、メディアや世間の情報に囚われずに自分で学び良いと思うものを選択して子育てに活かして、自分の子供にぴったり合う物を食や医療、様々な選択肢の中から選んできたと話してくれました。そして、これらが現在のお仕事の原点になっているということをはなしてくださいました。
「毎日車の中で食べていたご飯が満足感と栄養価の高いスープがあったら、どんなに心も体も満たされたかという想いで白樺樹液の豆と野菜のスープを販売しています。離乳食が始まってからも、そのまま食べさせれるよねと過去の自分の大変だった経験があるからこその発案。食の情報も、調理の仕方も、様々な自然療法の先生を十勝によぶのも、全て、当時これが知れていたらなあと思うからです。」
最後に10年後子育てを振り返った時、どんな子育てだったと思いますか?と聞いてみました。
「私は一緒に遊べて楽しかった~と思うかな。もっと一緒に遊びたかったってきっと思う」と話されました。
なかなか経験できない双子育児を通して、母としての心の変化をありありとお話してくださった五十鈴さん、貴重なお話をありがとうございました。
※写真は五十鈴さんからお借りした、お腹の中での双子の貴重な一コマです。
岡田五十鈴さんプロフィール
出身地 スキーと仕事の両立をしたくて北海道に移住。現在食と自然の学校 食‘ai菜主催。小学校2年生の双子とご主人の四人家族
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