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喰む(はむ)/秋、酒蔵にて2023

今年も中之条町・旧廣盛酒造にて、県内モノづくり作家と料理人たちの共演「秋、酒蔵にて」が始まった(11/5まで)。今年もポスターやフライヤーのデザインを担当し、蔵一階の片隅では僕も六箇山工房の佐藤遥果さんの花器とコラボした映像を放映させていただいている。

「秋、酒蔵にて」通称アキサカは、2009年の開始以降、沼田の吉澤指物店の吉澤良一氏を代表にモノづくりたちが「ただ物を作って終わり、あとは問屋や店やお客さんにゆだねる」という受け身から攻めに転じ「作る人と使う人、まずは直接顔の見える関係を作り、その延長上で物の行き交いを作る」というモットーを貫いてきた。以降は、人と器とを繋ぐ役割の人々、つまりは料理人たちを巻き込み、群馬県の田舎町では普段味わえない料理を食べられる場にもなってきた。また、数年前より代表が前橋のderacine factoryの閑野淳くんに代替わりし、若い世代の作家も参加。若手がはりきり、古参も負けじと技を見せる。僕も色々なグループに関わっているが、一番難しい「同じ面子が続くことによる停滞」を感じさせない情熱をアキサカからは感じている。

今年のテーマは「喰む(はむ)」副題として「アキサカ式ガストロノミー ものづくり人×料理人=遠くへ行こう If you want to go fast, go alone, if you want to go far, go together」と長い文章が続く。ビジュアルを作る際にはすでに参加作家の書家・宮森庸子さんの「喰む」という書があったので、それを主役にするだけだった。テーマの内容としては「例年以上の料理人とのコラボ」。期間中に出す料理を料理人が提示し、それに適した器やカラトリー、演出をモノづくり作家たちが作る。10人料理人がいればアプローチも作り方も関係する作家も10通り。僕はただ傍観者であったが、そのやり取りがいかに大変だったか、新しいものであったかは、展示され実用される完成したモノからも感じ取ることができる。(例:銀座のイタリアン・浜本拓晃氏のフルコースの1品1品を出す1皿1皿を、木や陶器など別々の作家が作った/素材にこだわる川場村VENTINOVEの竹内悠介氏自信の粥を器・ふた別々の作家が作る・・など挙げていくきりがない)

僕が一番関わるのは、11/4(土)夜に行われるyamanofoodlabo(中之条町六合赤岩に移住し、土地をリサーチしながら架空の山岳民族料理を展開するユニット)とアキサカ唯一無二の踊り子・宮崎亜由美さん、そしてフィールドレコーディングも取り入れる音楽家・西川裕一氏がコラボする「-MOKUJIKI/naorai-」(架空の山岳民族の神事・食宴)。料理としては、六合という名の由来ともいわれる「天地四方を以て六合する」という言葉を食に落とし込んだ予想できない品々。食材としては、花、鹿肉、檜なども使われる。(事前予約ですが、まだ参加可能です(10/28段階)詳しくは彼らのインスタにて)

「喰む」という言葉を調べてみると、口に含むだけではなく「飲み込む」という行為までを含んだ言葉だという解説が出てくる。なるほど、1つ前の民族料理に乗っかると、太古の我々の祖先は、食べられるものと食べられないもののボーダーを自らの舌や体で線引きしてきた。飲み込む、ということは1つ間違えば「死」を意味し、地や海に自生・生息していたものは口に含んで吐き出したものが大半だったように思う。つまりは飲み込むとは<覚悟>であり、自分の体の中にそれを入れることを<許す>行為でもあった。

「器なんて100円ショップのものでよい。食べ物なんてお腹が膨れればよい。見た目が映えるものを食べたい・・というよりもスマホで撮って自慢したい。だってそれらは全て、気に入らなければ口に含むだけで吐き出せばいいから(捨てればいいから)」

乱暴な言い方だが、そんな物や食への接点が増えているように思う。けれど、「見た目も美しい器から、口触りの良い箸や匙を通して美味しい食べ物を口に運び、よく噛んで味わって、満足のままに飲み込むこと」の幸福がなによりの贅沢であることは、言うまでもないことだろう。「秋、酒蔵にて」に来て、そのような「喰む」ことの豊かさを実感してほしい。

秋、酒蔵にてインスタグラム

<相変わらず話が脱線して長文になり、展示映像について何も書いていないが、この1年仕事として中之条ガーデンズを撮影させていただく機会を持ち、自分や家族の体調の悪さとも向き合いながら花を撮影しているうちに、今まではきれいだね、程度にしか思わなかった花に色々を重ねられる年齢に自分がなったことを実感した。直観でその映像をガラス作家の佐藤遥果さんに見ていただき、1つの花器を選んでいただき、共に並べたものが今回の展示作品となっている。>

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