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中之条を点として交差したアーティストたちは、A4という枠をくぐり抜けて、再びの中之条、押入れの中へ/中之条『押入れ百貨展』

群馬県中之条町・旧廣盛酒造で7/31まで、パフォーマンスプロジェクトDamaDamTalがキュレーションする体感展企画室による展覧会『押入れ百貨展』が開催されている。(入場無料/ただし金・土・日・祝の17時以降は催し物開催となり入場料1,000円)(以下敬称略)

WEB:押入れ百貨店

体感展企画室は、中之条町で2007年より開催されている芸術祭「中之条ビエンナーレ」で知り合ったアーティストたちが自主的に集まり、その時その場所によって人員体制も変えるグループであり、『押入れ百貨展』は昨年東京都美術館で行われた都美セレクショングループ展『体感A4展』に続き2回目の展覧会となる。

複数のアーティストが自主的に自ら発表を行う、というスタイルは、中之条ビエンナーレの姿勢そのものでもある。中之条ビエンナーレは2007年の初回開催時「小さいギャラリーで様々な制限を受けながら展示を行う環境から抜け出し、群馬県北西部の自然豊かな土地の廃校や養蚕農家を会場とし芸術祭を行う」という事を目的の柱とした。町おこしにも貢献する中之条町主催という運営形態は維持しつつも、現在に至るまでその作家発信のスタイルは継続されている。

芸術祭の側面として、現地滞在で制作を行うアーティストたちが親しくなる、というものがある。特に体感展企画室を立ち上げたDamaDamTalは2019年の中之条ビエンナーレにおいて、(『押入れ百貨展』参加アーティストでもある)ヴァイオリニストtakanori niimuraらと共にチームを組み「砂塵旅行団」と名付けられたパフォーマンスを展開。(『押入れ百貨展』参加アーティストでもある)半谷学らの展示会場において、ビエンナーレ期間中にその場所その場所ならではの即興パフォーマンスを行った。そのような過程において、ゆるやかなアーティスト同士の繋がりが生まれていったのだろう。

2021年に行われた都美セレクショングループ展『体感A4展』は、まさにコロナ禍での開催。中之条ビエンナーレに参加経験のある15組のアーティストが、印刷用紙の一般規格である「A4」をテーマに新作を発表した。(僕はその展覧会の展示映像記録に関わっている)

動画:都美セレクショングループ展『体感A4展』

A4という大きさを意識した作品というよりむしろ、コロナ禍における様々な規制を反芻し、自らにも規制を課し作品を展開するアーティストや、それら規制からどうにか抜け出そうともがく様をダイレクトに表現するような「2021年のその時にしか」産まれないような作品が並んだ。東京都美術館という会場の歴史・重さも合間って、ヒリヒリとした感じ、切迫した感じ、が全体に満ちていたように思う。

今回の『押入れ百貨展』は、確認はしていないがDamaDamTalによる中之条ビエンナーレ2021の作品「忘れもの薬局」の影響が見てとれる。中之条町の商店街の中にあり、随分前にその役目を終えた薬局を展示会場とし、過去には様々な薬品や日用品が並べられていたであろう棚に、DamaDamTalは、四角や丸、瓶や球体などの様々な物質が、様々な包装紙で包まれた作品を展示した。包み紙の中に包まれたものが何であるかわからないものが多いゆえに、鑑賞者は想像によってその中を妄想する。場所の古さも相まってそれは、古き懐かしき思い出を想起させるような展示だった。

『押入れ百貨展』は、中之条ビエンナーレ会場としてはお馴染みの旧酒造全体を「綺麗な、珍しい、面白い、知らない記憶のデパート(会場案内より引用)」として再構築、DamaDamTalの他に、『体感A4展』に続いての参加となるアーサーファン、半谷学、新たなメンバーとしてCLEMOMO、春田美咲、山口諒を加えたアーティストが参加している(ほか、パフォーマンスアーティストとしてtakanori niimura、SUPER-NATSUKI-TAMURA、Jun Futamata)。

コロナ禍は今だに僕らの生活に支障をきたしているが、その会場に『体感A4展』のような切迫感はあまり感じられない。むしろ、そこから一歩踏み出した際の、そして実際の会場も広くなったがゆえの開放感も感じることができる。また、作品として「押入れ」を意識した作品も見受けられ、それは半谷学の奥座敷の何かであったり、春田美咲の祖母との大切な思い出であったりする。

レセプションで行われたDamaDamTalとtakanori niimuraのパフォーマンスにおいては、コロナ禍の影響も受け家の押入れで眠っていたという「使わず残ってしまった自身が関係する展覧会のフライヤー」が小さくぎゅーっと圧縮された石のようなもの、の使い方が印象的だった。それらは手ですくわれ、こぼれ落ち、投げ捨てられ、足で掻き分けられ、けれど柔らかい布団のようにアーティスト自身を包んでもいた。

最後に、彼らのグループ名に「体感」という文字が記されていることに注視したい。写真や映像では伝わらない、今時代の映し鏡でもある生のアート。ぜひともあなた自身に体感していただきたい。

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