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エンタメと思い込みスピ

スピリチュアルについて思ふことの続き
ある怪しい霊能力者が
たとえ偽物といわれようとも
その話自体はよく出来たストーリーだなあと
感心することも多い
具体的な細かい年代・数字設定や
登場するキャラクターの名前、
この世とあの世の詳細な設定など、
発想が単純に面白いと思うことも多い
(その能力を他に活かせばいいのにとも?)

創作活動とわかっていて
エンタメとしてやっている場合
これは小説とか漫画とかアニメ、
映画、演劇だって色々あるわけで、
それらについては
現実にありえないお話だからといって
「騙したな〜」なんて当然誰も言わない

これらをまとめて芸術と認め、
それの鑑賞料を払うのは当然だ、
と誰もがいうだろう
高すぎるとか安すぎるとかも
その人の考えだから
何も疑問はもたない

ただ、これがいったん
スピリチュアルになるとどうだろうか?
同じようにやっていたとしても
エセ霊能力者=作者の意図がどうか?
が問題になってくる
「作者」もなぜエンタメとしてやらないのだろうか?

作者自身が思い込んでいるからだろうか?
本当に己のちからを信じている場合、
気づかずにとんでもない高額で提供したりもする

本人が信じているだけに厄介だが
単純にその人を責められるだろうか?

これだけ詳細な設定を意図もなくできるのだろうか?
一人ひとり見えているものが本当に違うだけなのでは?
芸術作品やエンタメとの差はいったいなんなのか?
色々とグレーになってくる

作者自身に騙す意図はない場合、
第三者からすればオカシイと思っても、
創作ではない、本当なんだと平行線をたどる
買い手側も信じているので
否定されたらキレることもある

その関係性が成り立っているなら
そっとしておくのがよいだろう・・・

ただ、発信者側が必ずしも人格者とは限らない
受け手側も依存心が高くなっていることが多い

期待値も膨らみ、軌道がずれてくると
膨らんだ分だけ跳ね返って
トラブルに発展することも多い
そうなると、
なぜ未然に防げなかったのか?
なぜこんなものにハマったのか?
早めに介入すればよかったのでは?
と後から反省することになる

数万円単位のお金を、
とんでもない額と分かっていても
ついつい支払ってしまうこと

それは自身の世界観に自信がないからか
何かどこかに正解があると思うからか
何かにすがらないと世界を保てないのか

それにつけこむ亡者が消えない

明確に人を騙してやろう
という悪い意図がない限り
ひとりひとりの世界観があってよい
(騙しあいの世界もひとつの世界観だが)

あなたにも世界観がある
誰かの世界観に依存したくなる、
これもひとのサガだが、
あなたの世界はあなたが構築する
他人の世界観は参考程度に
活用することはあっても
永続的にハマるものではない

これができれば亡者も存在できない
依存心の強いひとがいる限り
亡者も自然と湧いてくる

それぞれのお役目なのだろうか

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