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自分でもよく分からないものを書くことになりました(笑)。これも与えられたお役目に違いありません。S層によるプログラミングといってもいいでしょう。人事を尽くして天命を待つ。昔から好きな言葉です。 ★人それぞれのお役目がありますが、一旦視点をリセットしたい方に強くお勧めいたします。
スピ業界にも「國體スピ参謀」がいるのだろうか。 はからずも普段の國體史観における八百長がそのままヒントとなる。もし過去からの常套手段であれば当然現代でも使っていると考えるのが自然だ。 ★スピ=スピリチュアル、スピリチュアリティ ★落合史観やサニワメソッドを利用した鍋島史観における「國體」とは必ずしも一致していません(國體史観、ワンワールド國體史観、國體ワンワールド史観、など呼称)。 ★先日の下記事と全く同じ妄想に毛が生えた程度のものになります。今回は國體とのアナロジーそして
またもや書かざるを得なくなったような、そんな気分なのですが、どうやらはからずもT氏と不思議に一致する部分も出てきたようで、エンターテイメントとして眺めているのがよろしいかと思います。どの様に考えようとも正解、不正解などはないので。良いと思ったものが悪いこともあり、その逆もしかりです。 メンバー限定記事です(以前の続編でもあります)。
國體史観の内容よりもなぜ興味を持ったのか?の方が大事と気付く。 自分自身に対しても発信者に対しても。興味を持ったモノ(内容)よりも興味をもったコト(現象)について内観するのがよい。
以前の記事で書いたが あるとんでもない仮定をして もう一度考えてみようじゃないか?
支持しているのはどのような層なのか? 師匠と元弟子のnoteの最近の推移をみて思ったことを記しておきます。 ※メンバーシップの方は無料記事です。
國體の功労者が消されることがあるのはなぜ? いつも偽装死とは限らない?偽装死でいいのに? その基準は一体何処にあるのか分かりません。
タイトルが大袈裟ですが、日本人なら当然中心になってくる話題で、日本史を考えるうえではなんとなくでは考えられない存在。古事記・日本書紀が中心になっていますが、その書籍の謎。それ以前とそれ以降。明治維新で一体何があったのか。その辺りがモヤモヤなままでは先に進めない?モヤモヤ全くしていない方々のご意見もあるが、それらが全く逆の考え方になるのはなぜ?素人目線でモヤモヤをモヤモヤのまま纏めます。 メンバーシップ掲示板では到底収まりきれないのでこちらに。 これまでも断片的には書いていま
古史古伝の数々。正式には記紀とされるが、なぜこんなに色々あるのだろうか。勝者の歴史?居眠り描写法で古史古伝そのものの存在意義について書いてみた。 未だ何も大して読めていない分際で書くのは全くおかしいことだが(汗)、メタレベル?から現象だけを見ていると、これからもホンモノとニセモノの言い合いがずっと続くのだろう、というのだけは分かる気がする。古史古伝というからには何千年レベルの話だからだ。もしどれかホンモノがあるのならとっくにその真偽判定は終わっているはずだし、実際これまで現
従来教科書で習うような歴史とは違いすぎて驚きの連続。古事記は謎解きみたいなお話が多いですが、大元出版さんの書籍で紹介される出雲口伝では歴史の話とそれが実際に残っている地名とリンクさせて語られているのでしっくりきます。家系図書きながら出ないと混乱してきます(汗)。 國體OW史観とはちょっと読んだだけでも全然違いました。
前々から気になっていたのですが、今日はついにいってきました。本来は別の用事だったので、ついでにいくにはちょっと無理なスケジュールかと思ったものの、想像より遥かにアクセス良好で、 電車→バス→ロープウェイ→バス→徒歩 でなんとどこも待ち時間ゼロでの乗り継ぎ(゚∀゚) 驚くほど移動がスムーズでした。 具体的には JR六甲道(大阪から20数分です) →16系統バスで六甲ケーブル下で下車(終点) ここでケーブル往復と山上でのバス乗り放題チケットが売ってるのでそれがお得です →六甲ケ
直接会ったこともないし顔も殆ど知らない。もの凄く中途半端な情報しかないが、逆に限られた情報で私の目に今何が映るのか?誤解があろうともあるがままに書いてみる。一連の事象がどう繋がるのかその精神力動(本来は専門用語)を見てみよう。妄想に基づく創作物語(フィクション)。 彼にはかつて自身の世界観を根底から覆し、心から慕う師匠がいた。 その師匠の名はジンカー・イアチオという。
なんかヨメが急に書いてます(゚∀゚) フトマニ図をつくるとか?? 書いてるだけで楽しいらしいです 少しスピに興味が出てきたのかな? 龍体文字は本屋さんで見かけたことがありますが 調べてみようとしたら、Wikipediaにもまだ出てこない? だいたいなんでもあるのに珍しいですねえ 龍体文字の歴史はかなり古く5000年以上前? コトアマツカミのウマシアシカビヒコヂ がつくったとされているようです 審神者により信頼できるとされた文字のみが 巫女の自動書記で残されてきたようです
最近多いような気がしてます なぜこのようなものが流行っているのか? 先祖の教えを大事にしようとか 原点回帰しようとか いい面もあるとおもいます ただ、これもまたホンモノ・ニセモノの 世界に囚われてしまう人は出てきます 自分たちだけが特別だという争いの種にも? それもふるいのひとつと思えばそれまでヨ ハイ、そのへんでやめまときませんか ということではありますが、 「末裔」ってそもそも 誰でも昔にどこかで有力な家に 辿り着くんじゃないでしょうか? 家系図がそっくりそのまま残る家