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でち日報2023/11/07

今日はダメだったな。そういう日もある

自分たちもこうありたいものだ

キャッチアップとしてはどうしても、優先順位が低くなってしまう

などと書いた後、スラムで延々長文を書いていた

自覚な信仰な〜
12:53
「強制力の追加」が機能するとき、既にその人の中にある信仰(無自覚な前提)にアクセスしていると言える?
12:55
物語のインストール、その物語を知っているということだけではなく、少なくとも行動や判断に反映されてやっとインストールなのだとしたら
12:55
クリスマスとお盆とハロウィンを「知って」いて、慣れ親しんでいることが、行動を規定するところまではいかないこともあり、それはインストールではなさそう
12:57
理由を後からさがしているだけだな。まず最初に、「モラルの物語はそんなにインストールできない」に対して「まあたしかに」と思ったことが事実としてあり
13:01
それがどういった理由で構成されているのかを言葉にしようとしている
・モラルを内面化することについて、子供の頃と大人になってからとでは困難さが違う(加齢による新規物語インストール障壁増加は、おじいちゃんが昔の話ばかりすることにも表れている)
・行事や風習として物語に触れてきた人全員について、それが行動を規定するほど深く内面に根をおろしているとはいえない(宗教アマルガムな日本人社会が特殊ではある)

13:02
たとえばでちおなどのスラム2世が、幼少期からベナオ説話を聞いて育てば、ベナらないようにモラルを内面化しやすい、などと言えるか?(and言う意味があるか?)
13:10
教学を修めた僧を増やそうとするのが「質」で、「なんかわかんないけどありがたいらしい」の信徒を増やそうとするのが「量」ということになるのかな
13:12
両方兼ねるのは当然として、手順と構造にバリエーションがあるのはそれはそう
13:17
あ〜〜〜かつて妖怪の文脈で語られていた「書き換え可能な本能」にまつわる話かもしれない。モラル

参照↓

13:19
事故で腕が取れたら、行動は変わる(すごい極端な例から考えています)
13:20
沼田牧師の講話で、大人になってから改宗した人たちは「私はキリストにつかまえられてしまった」という表現を多くする。というのがあったっけ
13:21
「御仏に」でもまあいいとして、そこには神秘かどうかは別にして「体験」がある。あ
13:21
物語のインストールに伴う体験の強度、とまとめることはできる?
13:22
インストール…
13:24
モラルについて本能(と呼ぶほど深い内面)の書き換えが起きる体験
13:25
手札ではこれ以上無理そうなので本を読めよ俺
13:29
たとえば俺にも、行動規範が一気に書き換わるような体験はいくつかあるけど、それが宗教と結びついていない
13:29
あ、えーっと宗教というか、子供の頃から触れていた信仰に、か(我が家は曹洞宗)
13:32
小学4年の時に近所のお寺で遊んでて、そのまま仏教系のボーイスカウトを中学生までやってた。そこは浄土真宗で、そういう宗教歌とかも歌ってたな
13:33
ただそれらが、モラルとして内面に対して強制力をもったわけではない。いや、気づいてないだけなのかな

13:52
「如来大悲の恩徳に身を粉にしても奉じ」てはいないけど、ハウ感度が高いのはそういうところから来てるとか?


最近はこの2曲で回している


今日はちょっとこれだけにしておいて、10月締切の作業と、来週から始まるかもしれない新しい仕事の仕込み、今月から始まった進捗管理の仕事で0時くらいまでは起きている予定です


どの要素を拾ったの?

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