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おじさん小学生の読書メモ34回目

最近は絵を描くことについて考える時間が増えている

だいぶ前に地元の本屋で見つけたハウツー本を、ちゃんと読み始めた。著者が自分の作品についての苦悩や逡巡を、技法の解説と並列して内容として提示していたことが興味深く、ひとつ自分の中で確信しつつあることがある。

言語、論理、あるいはそのように呼ばれるものの使役は「鍵」そのものではない。でありながら「錠」を開けることができる場合がある。つまり「鍵開け道具」として機能する。ということだ。

むしろ、何が問題で、そのためにどんな実現可能な選択肢があり、そこから何を選ぶか?ということを、もはや「鍵開け道具」無しに実現させることは、少なくとも自分には困難なことである。

そのことを意識すると、絵の練習もはかどる。実際の理屈が本当に正確なものなのかは正直この際どうでもよくて、ただ何か具体的な新規行動のきっかけになるだけで、十分に「解錠」していると感じる。



シュッツ「生活世界の構造」では、夢が現実世界とどう違うのか、という章を読んだ。夢や空想などと比較して、この『現実』世界の特権性はいかなるものか、ということを、これでもかと詳細に記述する。上記の通り、自分も理屈っぽいけどやっぱりプロ(?)とは比べ物にならない。


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