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おじさん小学生の読書メモ29回目

「武器としての資本論」を読んで、とにかく同じことについて色んな人の話を聞くというのはいいなと思った。佐藤優の対談シリーズや「超入門」、「父が娘に語る経済の話」の中で共通して語られる資本主義社会の起源やフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」議論、冷戦の終結、そういう話を「思い出す」ことができることの嬉しさがある(こういうのって俺だけなんですか?)

哲学人文系を読むことの快楽もそこにあって、たとえばドゥルーズの解説本で他者論が登場すれば「レヴィナスじゃね?」と思うし、経験世界の話になれば「シュッツじゃね?」となるし「出来事」と言われれば「ホワイトヘッドじゃね?」となる。

どれも門外漢のまま、なんとなく触れてみた程度の知識しかないのだけど、それでも「思い出す」ことができるのが良い。思い出すことは、閃くことに似ている。脳はその2つを区別しているのだろうか?

「武器としての資本論」の話に戻ると、資本制がどこから始まったと言えるのか?という話を丁寧にしてくれていたのがよかった。

それはまあ「労働力が商品になり、商品を生み出すのが資本社会だ」ということだったが、じゃあ「奴隷制度があった古代は資本主義だったの?」と言いたくなるものの、これまでに関連書籍を読んだせいか、その雑な疑問には自分で答えることができる。

資本主義社会とは、「奴隷じゃない人がいない社会」、つまり人間が商品化されていないということが例外的である社会、ということなのだろう。だから「社会人」と呼ばれている存在は、実際のところ「資本主義社会人」の略語なのかもしれない。

「聖なるズー」良い。読んでおいてよかったという感じがある。これをおすすめコーナーに置いておいてくれた司書さんはやはりすごかったと思う。

「犬に仏性はあるか?」を地でいく問いを投げつけてくる。私たちが社会で立ち回っていくために、初めはやむを得ず、だんだんと手癖として、捨てたり軽んじたりしてきた種類のもののことを、立ち止まらせて(立ちすくませて?)思い出させてくれる。そういえばこれも「思い出す」だった。

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