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自分の好きなことだけをするのでもなく、押し殺すのでもなく、応用する。【おじさん小学生の譫言vol.20】

そもそも人間の脳は、生まれた社会とその時代には誂えられてないんすよ。

社会とその有用性を再生産する「鋳型」

だから、生まれ持ったものも家庭的な環境も、より大きな環境としての社会に対して、如何に応用していくかという話になるんだけど、

その「応用」自体が、誰にでもできるわけではないし、必ずしも誰にでもできることを、社会・時代側が望んでいなかったりしますよね。

というわけで、職業や身分や先入観という形で、あらかじめ大多数に当てはめることができる鋳型が用意されていて、個人はそこに自らを矯正していくのが、セオリーになるわけなんですが、

残念なことに、その鋳型におさまることができない個体も、どうしても発生する。あるいは、鋳型が古くなってしまったことで、個体との齟齬が起きやすくなることもある。

社会の不適合者ではない(かもしれない)

そういう不適合者は、自らを「社会」不適合者だと見なしがちですが、それが単なる「鋳型」不適合者なのであれば、別ルートから社会に適合することができる可能性が残っていることになります。

もちろんそれも、本人が「別ルートからの社会適合」を望むならばという話だし、そのためには、自らを鋳型に矯正するのとは、まったく別の能力が必要になってしまう。

しかし…この場合、あるいは鋳型にうまくおさまる場合においても、「必要な能力」と呼ばれるもの自体が、ある特定の目的を前提としており、かつその「特定の目的」に、その人が属する社会のあり方が関わっているのならば、

その「必要な能力」もまた、冒頭で言っていた「応用」の対象になるということになりますよね。

これを一言にまとめると「社会に必要な個人の能力は、応用によって生まれる」ということでもある…

この時点で、まずは「あなたには社会に必要な能力が『ある』か『ない』かではない」ということを伝えておこうと思ったんすよね。

「な〜にを当たり前のことを言っているんだ?」と思った人は、じゃあ「何をどう応用するか」という話をしていくので、ちょっと待っててね。

「な〜にを綺麗事を言っているんだ?」と思った人は、申し訳ないが社会と個人は、仰る通りの「綺麗」な構造を事実として備えているようなので、観念してください。

私の持っているものが、どう現れるか

冒頭で言った通り、ここで応用するものとは「生まれ持ったもの」「家庭的な環境」なのだけど、

この2つは、暗に他人目線の表現になっているので、それが具体的に何なのかということを、本人がいつでも自覚できているわけではない(ですよね?)

では主体(私自身)として、どのように「生まれ持ったもの」と「家庭的な環境」を読み取ることができるか?

おそらく、ひとつは「私は何が好きか・嫌いか」ということ。もう一つは「私は何が得意か・不得意か」ということではないかと思います。

「何もかもが気に食わなくて大嫌い」な人は、得意不得意で考えればいいし、「自分は何もできない、得意なことなど無い」という人は、好き嫌いで考えてもらって、まあそのあたりは、不快を呼び起こさないように各自調整していただくとして、

次にその中身を分解していくんだけど…なにか具体例があったほうがよさそうだな。

おじさん小学生個人の暫定解

例えば私には、パッと思いつくもので

・家にいるのが好き
・他人が物理的に存在している空間が嫌い
・締め切りが嫌い
・手順が決まっていて脳死でできるPC作業が得意
・なぜか「強烈に不得意な文章」があり、出くわすと読めない

恥ずい

みたいな好き嫌い・得意不得意があり、おそらく生来的なものや、家庭環境によって生じた一種の「ムラ」なんですけども、

これだとまずいきなり会社勤務が無理ということになる。締め切りも守れない。この時点で鋳型に収まることが不可能とわかる(わかっていながら10年やってみたがダメでした)

で、一通り落ち込んでから、「じゃあどうやって生きていこう」という段階になって、このリストを構成するものが何か?を分解していく作業に入ります。

・家にいると他人がいなくて嬉しい。いつでも飲み食い睡眠シャワーゲームができる

・自分の外見や態度などに自信がないしコストをかけるつもりもない。そこを他人に晒すたびに負の影響が大きかった。また外界に意識を向けること自体を負担と感じる。自分と画面以外に動いているものがあると不快

・やる気にムラがあり、そのムラを肯定している節がある。他人を軽視しており、その軽視を肯定している節がある。したがって締め切りは無視される

・手順が固定された作業は、別なことを考えながらできるので(もちろんその程度の難易度の作業に限るが)負担感が低い。負担感が軽いと量はあんまり問題にならない

・「強烈に受け付けない文章」があり、その理由を明記できるということは、文章そのものに対して、こだわりがあるということでもある。その証拠に自分のこだわりを文章として吐き出して、他人に肯定されるととても嬉しい

具体例としてやってるので、あけすけで雑だけど許せ

で、この特性を「応用」する候補を出す。その時、正社員などの一般的な就労形態は完全に考慮しないものとする。すると例えばこう

在宅で、締め切りがなく、固定された手順で、文章を作る

ということで、詳細は伏せるが、実際にこの条件を満たす仕事をしたり、部分的に合致している仕事をしています。仕事として続けていられるということは、その限りにおいて他者を経由して、社会に適応していることを認めざるを得ない。鋳型不適合者として社会に適合する一つのケースです。

そんな都合のいい仕事あるか!?と思う人もいるかもしれないけど、このご時世にリモートワークは十分普及しているし「締め切りがない」と「できた分だけ報酬がもらえる」は、自分にとってはほぼ同じ意味だったんですよ。

もちろん課題はあって、たとえばここまで好条件が揃っているのに、結局体調と進捗にムラがあるせいで収入に不安があり…でもまあ、無理して鋳型に自分を詰め込んで全身骨折していた頃よりはだいぶマシになりました。

特性を直接活かす道もあるにはある

もしも自分が、特性を活かして好きなことだけをやれる生業を選ぶなら、たとえばプロの文筆家か何かになろうとしていたのかもしれません。

しかしそこまで人生に対するやる気がない人間は、何かの分野に特化することができない!その一方で、どんな生き方をしても特性自体はそのまま保持されるわけで、

ならば鋳型に押し込めるでもなく、何かの道を追求するのでもなく、その構成要素となる特性の組み合わせを応用して、社会的な何らかのニーズに応える。という道もあるのではないか?ということを言いたかったのでした。

おわり


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