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でち日報2023/06/25

月末進行です。段取りから連絡から、全部問題なく進んでいるので、あとは昨日の日報に書いた通り、とにかく自分の機嫌をとる。厳密に自分の機嫌を取ろうとすれば、やるべきことをやることは避けられない。

実行能力の乏しさを嘆きつつ、しかし「実行に能力などない」ということも一つの側面であると言い聞かせて進捗を出す。世の知的労働、肉体労働に従事している人たちに比べれば、この間隙は温い。自分の身の丈にあったプチ地獄をやっていく。

限りなく開かれてあることは、「それではないもの」に対してでもあるわけで

それであるもの、と、それではないもの、を選り分けて取捨することは、原始生命体のもつ選択的透過膜そのものであると言える。

選択的透過性としての詩心(うたごころ)とは、「私のことを歌っている」と思わせるポップソング、解説ツイートがバズるまで見つからない伏線である。

自らに向かってコーディングする際に、その自らのうちの他なるもの、形容も特定もできないものへ向かって承認通過されるために求められるものもまた、詩心である。

そういうことだったのか!重要なことは、これが分かった(と思い込んでいる)ことが、具体的な行動にどのように影響するかなので、そっちへ頭を切り替えていきたい。

こうした雑な立ち振る舞いは、知的労働を生業としない人間に許された特権なのかもしれず。

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