おじさん小論文09−2−1 「学習について その2(動機について1)」

 前回の投稿で、なかそねさんから鋭いコメントをいただいた。

「自分にとっての価値を見出す」というレベルにはなっていない気がします

 言い訳しようがないくらい、まさしくその通りだと思った。

 そこで今回は当初の予定を変更し、この「おじさん小論文」についての動機をそれぞれ掘り下げていく回にしたい。

動機1:朝礼までの時間で、テキスト関係の作業を全て終わらせる習慣をつけたい⇨なぜ?

 故あって、素晴らしいコーヒー豆を送っていただけたこともあり、自分にとってはコーヒーを飲んだあと、書き物をするのが至福の時間である。

 しかし体質上、一日に飲めるコーヒーの量は1杯分であると分かった。これは従来一日2杯飲んでいたら週2日はダウンしていたのが、1杯にとどめることで毎日の作業量を平準化させることができたことによる。

 また、夜に眠れなくなるという問題もあり、できるだけ早い時間にコーヒーを飲みたい。そして、その効き目が最大になる時間帯は、一番頭を使う作業(テキストづくり)に費やしたいと思っている。

 小学生活動の中心でもある8時の朝礼までにそれを実現させたいがために、4:50起床、逆算して21:30就寝という生活リズムも作った経緯がある。

動機2:自分の考えを客観視できる程度の文章を作りたい⇨なぜ?

 これは性分なのか、すぐ自分を客観視できなくなる。いつも「全てがこのまま永遠に続く」という前提で行動を組み立ててしまう。良いことであれば向こう見ずに、悪いことであれば極端にふさぎ込んでしまう。

 それを制御できるものが自分のテキストである。自分が書いたテキストは、自分から独立し、他者の言葉になる。十分ではないとはいえ、かなり自分に理解のある他者になりえる。

 何より、恥を忍んで告白すると、私は自分の文章が好きで、日に何度も読み返しては、細かい修正などを楽しんでいる。不思議なのは、その日の文章については愛着があるが、日をまたぐと途端に疎遠になってしまうことだ。これが過去の小論文の内容をあまり振り返らない原因でもある。必要があって読み返してみても、当日のような情熱を自分の中に感じることができない。

ともあれ、他者となった自分の言葉の存在は、私自身を「いまここ」の絶対性および、そこから生じる感情から引き離してくれる。別な世界と可能性があることを思い出すことで、大局的に行動ができたという成功体験があることも大きい。

ここまで書いて朝礼前の作業時間は終了してしまった。せっかくなので朝礼後もやろうと思ったが、他の予定を圧迫してしまうので、タイトルにはさらに通し番号を足して、明日つづきを書こうと思う。

(ブレスト25分、本文18分) 


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